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私の異常な愛情 不肖・宮嶋流戦争映画の正しい観方 740円/光文社 知恵の森文庫/2008年6月
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不肖・宮嶋 戦場でメシ喰う! 2‚200円(税込)/ワールドフォトプレス/2008年5月
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不肖・宮嶋、再び。自衛隊レディース 2‚200円/イカロス出版/2008年1月
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不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる! (14歳の世渡り術) 1‚260円(税込)/河出書房新社/2007年8月
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仕送り5万円で交渉成立
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キャパに影響され、報道カメラマンになることを決意した宮嶋さんだったが、当然はじめからフリーの報道カメラマンになれるわけはなく、そもそもカメラマンになるための手段すら分かっていなかった。
「当然、いつかはキャパのようにフリーカメラマンになりたいと思っていましたよ。でも、どういうプロセスでカメラマンになればいいのかまったく分からない。学校だって教えてくれない。だから、とりあえず、名のある写真家の方々が卒業している日本大学芸術学部写真学科に行ってみようと思ったんです」
しかし、中高一貫の私立名門校にまで進学させた両親にしてみれば、カメラマンという未知で不安定な世界に憧れる息子の夢を、手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
「もちろん反対されましたよ。将来の安定した仕事云々だけではなく、父の経済的状況も含めて。『中学・高校と私立に行かせたのは、大学まで私立に行かせるためじゃない!』って、父は自分の給料明細まで見せながら説得してきましたよ。私立大学の授業料に加えて東京での家賃なんて、どう考えても払えるわけがないんですよ」
「父にしてみれば、若さゆえの無謀な夢だろう、くらいにしか捉えていなかったんだと思います。反対するのは当然ですよね」
宮嶋さんの私立大学受験に後ろ向きだったのは、両親だけではなかった。国公立大学への進学率を誇る白陵高校にとって、私立進学という宮嶋さんの希望は、学校の対外的な評価を低くするものでしかなかったのだ。進路相談をするクラス担任がそのことを気にしていることも、宮嶋さんにはひしひしと伝わってきた。
「担任の先生への義理として、私は日大を受験させてもらう替わりに、地元の公立大学も受験したんです。そうしたら、運悪くどちらも受かってしまったんですよ(笑)。公立の方も合格してしまったものだから、父の反対もなお更だったんですね」
「父は、新しいカメラを買ってやるから、また写真部に入って趣味で楽しめばいいじゃないかって。挙句の果てには、免許のない私に、車まで買ってやるって言い出してね(笑)。地元の大学に行けば、それくらいお金が浮くわけですよね」
「でも、私も粘りましてね…最終的には、仕送り5万円で手打ちしました(笑)。家賃から生活費まですべて込みで。それ以上は絶対に迷惑をかけないからと」
「1年目は本当に大変でしたよ。学校に行って、アルバイトして…それでもどうしても足りないときは、母がこっそり助けてくれたりもしましたけど。2年生になると奨学金をもらえるようになって、学校の寮にも入ったので、生活はかなり楽にはなりましたけどね」
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一年間通らなかった課題
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やっとの思いで両親を説得し、過剰なまでの自信と、自分と同じように写真に情熱を傾ける仲間への期待を胸にスタートした大学生活。しかし、実際に大学の扉を開けてみると、期待と現実の間にあるズレに、少なからぬショックを受けることになる。
「私は大変な思いをして上京して、且つ写真という潰しのきかない学科を選んでしまったから、もう後がないという状況だったわけですよ。日大の写真学科ともなると、カメラマンを志す私のような若者が、日本全国から集まっているとばかり思っていた。でも、実際には、親父が写真館を経営している人や、付属高校から進学してきた人もいて、写真に対する思いに温度差があったんですよね」
「まあ、進学塾みたいにガツガツしたヤツばかりでも困りますけどね」
「それ以上にショックだったのは、自分がそれまでやってきたことが、まったくのゼロだったと思い知らされたことです。田舎では一番で自信満々だったけど…大学では、下から数えたほうが早かった。そのくらい上手いヤツは上手いんです。そこが大学のいいところでもあるんですけどね。有名、無名は別として、田舎ではなかなかいないような天才肌がいる」
自分にはない才能を持った同級生の実力を目の当たりにすると同時に、宮嶋さんは、与えられた課題を何度も何度も跳ね返されるという、これまでにない挫折感も味わうことになる。
「一年生のころはね、課題がほとんど通らなかったですよ。写真の良し悪しがまったく理解できなかったんですね」
「新聞の複写とか…本当になんてことない課題なんですよ。確か最初の課題は、級友と二人一組になって、4×5のカメラでお互いを撮影し合うというもの。フィルムの種類からライティング方法、露出、現像時間と、何から何まで細かく指定されるんですけど、その課題は結局一年間通りませんでした」
「撮っては現像して、プリントして…を繰りかえした。でも、何故通らないのか、その理由が分からないから何回繰り返しても結果は同じ」
「いわゆる“調子のいい写真”というのが分からなかったんですね。グラデーションやトーン、質感の“いい”写真。それは、現像時間や被写体によっても変わってくるから、ある意味では技術的な問題とも言えますけど、私の場合は、それ以前にどういう写真がいいのかが分からなかった」
「一年生の終わりになって、やっとその辺のことが分かった。それからは気持ちも楽になりました。最低限の作業が分かったわけですから」
「ピントを合わせること自体が大変な作業だったひと昔前は、“いい写真=ピントが合っている”という時代だった。でも今はそれだけじゃダメ。私は、自分が表現したいことを、どうやって二次元で表現すればいいのか…ということがよく分かっていなかったんでしょうね。ただ写っているものがすごければいい写真だと思っていた」
「でも、プロというのは、撮るときから色々と考えなければいけない。こう表現したいから、この露出で撮影して、現像時間を何分にして、プリントはこの紙を使って…と」
他の生徒はそれができていた?
「できていたと思います。特に成績の良かった子はね」
「私は、教授が好む写真と、そうじゃない写真の区別も分からなかった。どうしてこんな作品が賞金30万円や学部長賞を貰えるのかって。ただの山小屋の写真や、木の看板の節穴を撮っただけの写真とか…いわゆる心象写真のようなものですよね」
「でも、どんなに課題が通らなくても、自分の写真についての強い自惚れだけは相変わらずでしたよ(笑)」
「自分では『あ〜、やっぱり俺ってうまいな!』って思っていた。今振り返ってみても、撮影した内容が悪かったとは思っていません。要は、現像時間がバラバラだったり、プリントの仕方がよくなかったり…そういうことだったと思います」
自分には才能がないとは思わなかった?
「まったく思いませんでしたね。この教授は、きっと報道写真が嫌いなんだろうって疑っていましたから。壁にヤモリがひっついているような心象写真をありがたがり、単純明快で迫力のある報道写真は嫌いなんだろうって。幸せなもんですよね(笑)」
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