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POLAR 3‚045円(税込)/リトルモア/2007年11月
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NEW DIMENSION 5‚250円(税込)/赤々舎/2007年10月
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いま生きているという冒険 よりみちパン!セ16 1‚470円(税込)/理論社/2006年04月
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Pole to pole 北極圏を繋ぐ風 石川直樹写真集 3‚990円(税込)/中央公論新社/2003年10月
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反応の軌跡としてシャッターを切る
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何となく旅の記録として写していた写真。石川さんの中で写真が“何となく”撮るものではなく、ある意識を持って撮り始めるきっかけとなったのは、2000年に参加したプロジェクト『Pole To Pole』だった。『Pole To Pole』というのは、世界7カ国から選ばれた若者が、一年間かけて人力を使って北極から南極まで縦断するという、国際的なプロジェクトだ。
「このプロジェクトに参加するにあたって、新聞社からフィルムを500本もらって、一日1本は撮影しなさいと言われました。それまでは、自分でフィルムを買っていたので、そんなに大量のフィルムを使えなかったので、それはぼくにとって大きな出来事でした」
「一日1本36枚を撮り切らなければいけないという状況に自分がおかれたことによって、意識的にまわりの風景を見るようになりました。このときの経験が、ファインダーを通して世界を見る、ということに少しずつ慣れさせてくれたんだと思います」
ファインダーを通して被写体となる風景を意識していく中で、石川さんのレンズは何に向いていったのだろうか。
「本当に見たまま、そのものを撮るだけですね。ちょっとでもいいなと思ったものとかびっくりしたものにレンズを向けてシャッターを切るだけで、はじめて触れるものや場所に対してあらかじめテーマを決めたりということはありませんね」
「『うわ〜っ』ていう驚きや発見。気持ち悪いなぁと思って撮ることもあるし、とにかく自分の身体の反応に正直にシャッターを切るだけです。被写体を特定することもなく、人も建物も、自然も風景も自分がいいと思えばすべて撮ります」
しばらく撮り続けていくと、人は誰でも構図などが決まってきてしまうものだ。テクニックが上達すれば、それに頼ってしまうことだってあるかもしれない。
「でも、そんなことにこだわるのは無意味だということに結局は気づくんです。構図だとか細かいことに気がいってしまうと、やっぱり写真そのものの力が弱くなるんですよね。陳腐な自意識が入れば入るほど写真の力は弱くなってしまう。だから、とにかく考えずに撮る、それだけですよね」
何も感じなければシャッターを切らないという石川さん。それは写真家として、何かを強く感じたときに、まずはシャッターを押さなければ、残さなければというような反応の仕方とは違うのだろうか。
「残さなければという意識はありません。何も感じていないのにシャッターを切れるのは、仕事として割り切って写真をやっている人じゃないでしょうか。ぼくは自分が『いいな』とか『すごい!』とか感じた瞬間にシャッターを切っています。写真を撮る理由として、人に見せたいという気持ちは、実はあまりないんです。ただ、自分の反応の軌跡としてシャッターを切り続け、それが積み重なっていく。それをまとめて展示したり本にしたりする感じですね」
「もちろん写真展を開催したり、写真集を出版したりするわけだから、見せたくないということではなく、それ以前に、やっぱり撮っちゃうんです。写真によって特定のメッセージを伝えたいということはないし、とにかく自分の反応の軌跡をまあ見てみてよ、という感じでしょうか。自分の写真を見ることによって何かを感じてくれたらうれしいし、何も感じなくてもそれはそれでまったく構わないです。不特定多数の大勢にうけるより、ほんの数人でも熱心に見てくれる人がいるほうがぼくは嬉しいですね」
これまで様々な肩書きで語られてきた石川さんだが、今現在の自分にひとつの肩書きを与えるとしたらそれはやっぱり「写真家」なのだろうか。
「今は写真しかないですね。今後どうなっていくか分からないけれど、できれば写真のことだけを考えて生きていけたら、ある意味では幸せだと思います。まあ、ある意味で不幸なのかもしれないけど(笑)」
それは自分の写真に“よけいな”文章を添えたくない、写真だけで勝負したいということなのだろうか。
「そんなレベルのことではないですよ。キャプションなんてよっぽど考えなければ安易につけられるものではないし、勝負うんぬんという話でもない。今後、文章を書くことがあってもフォトエッセイみたいなものは出したくないですね。写真は写真集や写真展という形、文章は文章だけの本として出していければと思っています」
石川さんにとって、旅と切り離した写真というのは考えられるだろうか。
「生きていることそれ自体が旅ですから。なにも飛行機に乗って海外に行かなくても、僕は東京でもいつもカメラを持っているわけで、東京にいようがどこにいようが、ぼくはどこでも同じようにシャッターを切るでしょう。人はいつでも旅の途上にいるし、そういう意味では、旅と写真を切り離せるかどうかという以前に、すべては分かちがたく繋がっています。切り離せるものなんて何もありません」
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“何を撮るか”ではなく“なぜそれを撮るのか”
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人に見せたいからという理由で撮るわけではないという石川さんは、同様に何かを伝えるために撮っているわけでもないというが・・・。
「たとえば、ここでいきなり窓ガラスが割れて、僕がそれを撮ったとする…それを人に見せたときに“メッセージ”なんてないですよね。僕は単純に『うわー』と思ってとっさに撮っているだけで、それは反応でしかないわけです」
「北極の写真集『POLAR』(リトルモア刊)においても、帯で温暖化に触れられていますが、僕がそれについて何かを強く訴えたいなんていうことはまったくないんですよ」
「もちろん、様々な旅や活動を通して、環境問題に直面したとき、それぞれの局面で自分がそのことをどう感じるかということは表明します。でも、だからといって僕は写真を通して“自然を守ろう”とかそういうメッセージを発信しようとは考えていないし、そういったことを声高に、しかも直接的に言いたいと思わないですね」
「そのとき出会った出来事や事実を、ただただ現実として客観的に受け止める。だから僕は、“写真で世界を切り取る”という言い方にも抵抗を感じるんです。“切り取る”というのは、目の前にあるものをある自意識によってフレーミングすることであって、それよりは、あるがままの世界をカメラで受け止めるように撮影したいと思っています」
「受け止める、あるいは、受け入れるといってもいいかもしれません。もちろん、写真を撮る以上、ファインダーを見ながらシャッターを切るわけですが、とにかく余計なことを考えずに撮る、それだけですよね。できるだけ自意識を排除した状態で写真を撮ろうと努力した時期もありましたが、突き詰めて考えていけば、記憶喪失にでもならない限り、そんなことは不可能だと思ったんです。当たり前のことだけど、やってみないとわからなかった(笑)」
「ぼくは、“何を撮るか”ではなくて、“なぜそれを撮るか”が重要だと考えています。その動機があいまいだったり、自分に正直でなければ、写真には何も写らない。何を撮るかを重要視するのはコマーシャルだったり依頼仕事だったりするわけで、ぼくは自分が撮りたいものだけを撮っていきたいですね」
何故撮るのかを決めることは、テーマを決めることとは違うのだろうか。
「ちょっと違うと思います。例えば、ベッヒャーの真似をして鉄塔を撮ろうと決めてそればかり撮り続けていたとしたら、それは単なる方法論ですが、鉄塔マニアで、それが本当に好きで好きでしょうがなく撮ってるなら、また別の魅力をもあった作品になると思います。写真にはすべてが写りますからね。自分の中から湧き上がってくるものに正直になり、そういった欲求とリンクしていることが大切ですよね」
では、広告写真やファッション写真のような表現性の強い写真には惹かれない?
「うまいなあ、とうらやましく思ったりしますよ(笑)。でも、ぼくはそれを自分で積極的に撮りたいとは思わないし、撮れないでしょう。スナップであろうが、テーマ性のある写真であろうが、撮った人から湧き出るものが感じられる写真に惹かれます。当たり前のことですけどね。何を撮るかではなくて、なぜそれを撮るのか。それは今後も大事にしていきたい部分ですね」
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