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『メッカ巡礼』 集英社/1997年 5‚700円
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『ヴァチカン ローマ法王、祈りの時』 野町和嘉 (写真) 南里空海 (著) 世界文化社/2000年 2‚800円
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『異次元の大地へ』 高知新聞社/2005年 3‚300円
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『地球巡礼』 新潮社/2006年 5‚775円
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『名作写真館19 野町和嘉』 小学館/2006年 552円+税
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信仰というのは、内面のあり方だと思う
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野町さんの代表作のひとつに、1997年に発行された写真集『メッカ巡礼』がある。これは、異教徒の立ち入りを固く禁じるイスラム教の聖地メッカで、数年にわたって撮影された写真の集大成だ。
「1994年10月、あるサウジアラビア人から、突然メディナのモスクの写真集を作るので撮影してほしいとの依頼がきたんです」
メディナというところは、メッカに次ぐイスラム教の二大聖地で、預言者ムハンマドの廟墓が置かれた預言者モスクが町の中心にある。野町さんが撮影を依頼されたのは、まさにその預言者モスクだったのだ。
「そのサウジアラビア人は、ヨーロッパで僕の写真集を見て、気に入ってくれたらしいんです。いきなりの、知らない人からの撮影依頼でしたが、ヨーロッパのカメラマンではなく、わざわざ日本の僕のところまで依頼してくれたことは嬉しかったですよ。もっともキリスト教徒とイスラムでは歴史的には犬猿の間柄だけどね。メディナの撮影なんて、そうそう得られるチャンスじゃないですからね、依頼を受けることにしました」
メディナでの撮影の話を進めているうち、イスラム教誕生以来、世界のムスリムが巡礼する聖地メッカの撮影もできないものかと、野町さんは思い始めた。しかし、メッカにムスリム(※イスラム教徒)以外の人間が入ることは断じて許されない。つまり、野町さんがメッカの撮影をするためには、自らがムスリムになることが必要条件だったのだ。そして、数日考えた末に、とうとう野町さんはムスリムになることを決意した。
「はじめは、メッカを撮影したいという気持ちからだったのは確かです。やはり、メッカでのハッジの瞬間に自分が立ち会えて、撮影ができるのはすごく光栄なことですし、それは自分ひとりの力でできることではないですからね」
「でも、僕はそれ以前にもイスラム圏で撮影する機会が多く、西から東、中央アジアの方までまわって、イスラム社会というのをずっと見てきた。そんな中で、イスラム社会の価値観に対して、違和感というのがそんなになかったんですよね。もちろん、様々な制約があったり、守らなければいけない戒律もあるけど。でも、僕なりに深く考えた上で決めたことだったんです」
「イスラム教の経典『コーラン』にはお酒を飲んではいけないと書いてあるけれど、実際には飲んでいるムスリムだってたくさんいる。礼拝をしない人だっている。地球上の12億人のムスリムのなかには実際さまざまなムスリムがいるわけですよ。僕は、信仰というのは、その人の内面的な心のあり方だと思うんです」
依頼があった翌年の1995年から2000年まで、野町さんは5年間、計5回のハッジに参加した。ハッジとは大巡礼といって、「イスラムの五柱」と呼ばれる最も重要な5つの義務の中のひとつをいう。毎年イスラム暦の12月に始まり、健康で十分な資金のあるムスリムは、一生のうちに一度は行わなければいけないのだ。
野町さんの写真集『メッカ巡礼』以前にも、メッカでの写真は残されていたが、公的な許可を得た上で、このような長期にわたる撮影を実行できたのは、野町さんがはじめてだったといえるだろう。
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人が人であることの上にある“共通の思い”
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宗教や神、信仰をテーマに撮影するにあたっては、たとえ無宗教者であっても、個人の宗教観というのをしっかりもっている必要があるといえるだろう。
「そうですね。でも、基本的に宗教論争のようなものっていうのは、不毛だと思うんです。理屈や正義論では解決ではない壁がある。だって、同じイスラム教といったってシーア派やスンニ派に別れているわけでしょ」
「でも何にしても、人が祈る姿、無防備に自分をさらけ出している状態というのは、何か神聖というか、言葉では表せないものがあるよね。今では、宗教が何かと問題に挙げられたりして、マイナスイメージが強くなっている傾向にある。でも、こうやって何千年という時間を超えて生き残っているというのは、やっぱり必要だからなんだよね。宗教を否定した社会主義だって振り返ってみれば、一時の熱病みたいなもので、70年くらいで終わってしまったでしょ。宗教の方がはるかに深かったんでしょうね。宗教っていうのは、生きる知恵の結晶みたいなものなんじゃないかな」
「人って、一人じゃ生きられなくて、誰でも何かに支えてもらっている。その“何か”っていうのが、ある人にとっては神であったり、親であったり…それは何でもいいと思うんだけど…」
「だから、人が人であるという時点で、何かそういう“共通の思い”っていうのがあると思うんです。表面的には信仰心の有る無しにかかわらず、自分の親や友人の死に直面すれば、誰でも無意識のうちに手を合わせている。突き詰めて考えれば、そういうものなんじゃないのかな」
「僕のこうした受け取り方は、やはり様々な宗教を取材していく中で見えてきたものだと思います」
世界を舞台に宗教をテーマに撮ってきた今、無宗教国といわれる日本は、野町さんの目にはどのように映るのだろうか? 「イスラム教っていうのは、日常生活における様々なことが神の意志によって規定されているんです。『これはしてはいけない』『こういうときはこうしなければいけない』っていうようにね」
「でもある意味では、日本だって数十年前までは、そんなに変わらなかったと思うんです。日本の場合も、家族や地域の強いきずなで結ばれていたし、昔からの言い伝えを信じて生きていた部分がありましたよね。それが戦後の経済成長の波の中で、知らず知らずのうちに会社が宗教になって、その裏では地域社会の希薄化、核家族化が進んでいった。でもバブルの崩壊で“宗教的忠誠心でつながっていたはずの会社”からは捨てられ、それまで必死に追いかけてきたものが目の前で崩れていったわけですよね」
「さっきの話に戻るかもしれないけど、宗教というのは、そんなに特別なものではないんだよね。人間が生きていく上での、本当に基本的なことを説いているわけで、家族の絆とか、人を傷つけないとか、そういうものなんじゃないのかな。最近の日本では、親が子を、子が親を殺したりっていうような、本当に異常としか言いようのない事件が日常と化しているでしょ。イスラム圏のように社会規範が強く残っている文化圏では起こりえないことなんですよ」
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写真はとにかく“見ること” “撮ること”
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最後に、これからカメラマンを目指す人へのアドバイスを伺った。
「僕は、20代の頃の写真というのが、その後の方向性をかなり大きく左右していくと思っています。自分の発見といってもいいかもしれない。30、40代になってもまだ迷っていたら仕方がないと思うんです。だから、写真学校の学生には、20代のうちに、撮りたいものは熱中して撮りなさいって言っています」
「人には、その年齢ごとの感性があって、その時々の直感のようなものっていうのは、個人の本質的なものなんですよね。だから、『あなたが今やりたいこと、やれることっていうのが、今のあなたの本質なんだよ』って言ってますね」
若い学生の中には、写真を撮ることは好きだけど、テーマが見つからないという人も少なくないが…。
「ん〜、そういう人は今後も見つからないんじゃないかな。そういうものだよ(笑)。やっぱり強い好奇心というか、精神的な渇望のようなものが持てるかどうかだよね」
「だって、考えたって仕方ないでしょ。自分が惹かれるもの、撮りたいと思えるものがなかったら、テーマ性を持った写真を撮るのは難しいですよ。もっとも私のように世界のあちこちを見てきた者でも、テーマを決めて新たな撮影の一歩を踏み出すまでは、相当の試行錯誤の連続だけどね」
「今は、“これを撮りたい”と思っても既にどこかで誰かがやっている、といったことが多くなって、みんな大変だろうけどね。自分が新しいものを打ち出していくのは大変だと思う。でも、それは仕方ないんだよ。モノづくりっていうのはそういうものだから。時間をかけて考えてひねり出したって、そう簡単に出てくるものではないからね」
「僕の場合は、若いときにサハラに出会えて、そこから自分のテーマが明らかになっていったということは幸運だったと思う。でも、ある場所に“行く”ということは、何かしら掻き立てられるものがあるから行くんだよね」
「自分が何か惹かれるものがあったら、まずはそこに向かうこと。そこから先は、自分が感じるものだから、理屈でどうこう言えるものではないですからね。20代に出てくるものって、そういう掻き立てられる想いや直感なんじゃないですか。だからこそすごく大事な時期だと思うんですよ」
「写真って、そんなに理屈っぽいものではないんだよね。構図がどうとか、シャッターチャンスがどうっていうのも…もちろんあるにはあるけど。でも、僕自身撮りながら、ああだこうだなんて考えてもいないですよ。瞬間に見て感じたものを撮るだけだから」
「僕は若いころ、特に誰か一人に影響を受けたということはないけれど、とにかく写真をよく見たよね。見て覚える。写真学校へは行かなかったけれど、写真というのは、とにかく“人の写真をよく見ること”と“撮ること”のこの二つに尽きると思うんです」
「表現することそのものは、実はすごくシンプルなことだと思う。でも、そのシンプルなものがなかなか見えないからこそ、みんな四苦八苦する」
「今はカメラを持っていれば、何でも撮れるでしょ。露出もピントも自動で合うし、しかもかなり性能がよくなっているからね。だから益々、自分が“どう見たか”っていうことが大事なんですよ。自分に見えてないものは写らない。それは、絵画でも文章でも同じだと思うけど、結局は自分が見たもの、言いたいことを伝えられるかどうか。伝える回路を埋め込むことができるかどうかに尽きると思います」
野町さん、貴重なお話、 本当にありがとうございました。 みなさん、次回もどうぞお楽しみに!!
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