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『地球巡礼』 新潮社/2006年 5‚775円
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『異次元の大地へ』 高知新聞社/2005年 3‚300円
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『エチオピア黙示録』 岩波書店/2005年 6‚200円
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『祈りの回廊』 小学館文庫/2004年 838円
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ニッカのカメラと川崎さん
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1946年高知県生まれ。
「高知の田舎で育っていますから、子供時代は山野を駆け回って遊んでいましたよ。何はともあれ生きる知恵を無意識のうちに身に着けていったような気がします」
野町さんが写真を始めたのは高校生のときだった。
「親にキャノネットというカメラを買ってもらってからですね。でも、最初は特に作品づくりを意識していたというわけではなく、かなり漠然と撮り始めたっていう感じですよ」
「でもね、あるとき海岸で撮影をしていて、うっかり手を滑らせてカメラを海に落としてしまったんです。しかも、買ってもらってからまだ間もないころに。すぐにカメラ屋さんに持って行ったんだけど、もう使えないって言われてね…」
「そのときに、カメラ屋さんがニッカの中古カメラを勧めてくれて、結局それを買うことにしたんです。ニッカのカメラというのは、ライカのコピー機のようなデザインで、レンズ交換ができるフォーカルプレーンシャッター付のカメラでした」
それからしばらくして、野町さんは、このカメラ屋で川崎芳五郎さんというアマチュアカメラマンと出会う。
「川崎さんは、いわゆるハイアマチュアのカメラマンで、京都の古寺をはじめとして古美術などの写真を撮っていた方で、様々な交換レンズを持っていたんです。高価なレンズを買えなかった僕は、よく借りて撮っていましたよ。当時、28ミリのワイドレンズなんか珍しかったですからね」
「風景写真がメインだったかな。でも、色々と撮っていました。そして、写真を川崎さんに見てもらったりしているうちに、どんどん写真にのめりこんでいったんです。川崎さんが、ちょうど個展を開くことになり、僕も手伝いをさせてもらったんだけど、それが大きなキッカケとなって、写真に本気で取り組むようになっていきました」
「高校3年生の時には、高知の県展に入選したこともありましたね。それは確か、雨上がりの夜景を写した写真だったかな」
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生活をとるか、好きなことをとるか…
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1965年、高知県立高知工業高校を卒業した野町さんは、松下電工に入社。大阪に移り住んだ。高知に住む川崎さんとの交流は、社会人になってからも続いていた。
「川崎さんが、京都のお寺を撮影しに来たときなどは、僕はいつもついていって、撮影のお手伝いをさせてもらっていましたね」
「川崎さんという方は、高知の旧家で由緒ある家柄の方でね、茶道や古美術にも造詣が深かったんですよ。京都の桂離宮や有名なお寺の撮影に何度も連れて行ってもらったことがありました。他の人とは違う、独自の視点を持って撮っている方と出会えたことは、写真をはじめたばかりの僕にとって本当にいい経験になったと思っています」
野町さんの撮影や暗室技術、写真に対する姿勢というのは、この川崎さんとの関わりの中で培われていったという。
「僕の場合は、川崎さんの作業を間近に見ていたから、本を読んで勉強するというよりも、見て、実際に自分でやってみながら覚えていったと言っていいかもしれないですね。自分で引き伸ばし機を買ってからは、自分でも模索しながら夢中になってプリントしていましたよ」
普通、社会人になると仕事に追われて、なかなか自分の時間を持てずに、写真を撮らなくなってしまいがちになる。しかし野町さんは、会社の休みを利用して撮影を続け、それまで以上に写真にのめりこんでいった。
「僕が入った会社は、あの時代から週休2日制をとっていて、写真を撮る時間がたくさんあったんですよ(笑)。土日の休みは、始発電車に乗って方々に写真を撮りに行った。だから、益々写真の方に気持ちが傾いていったのかもしれません。入社して1年半くらいたったころかな、やっぱり迷い始めたんです。写真の道に入るか、このまま趣味として写真を続けていく方がいいのかってね」
「このまま会社にいれば、一生安定した給料が入ってくる。一方でカメラマンになったら、食べていくことだってできるかどうか分からないわけです。生活をとるか、好きなことをとるか…」
「でもね、色々考えているうちに、このまま何も行動をおこさなかったら、将来後悔することになるんじゃないかって思ったんですよ。それで、とうとう会社を辞めることに決めたんです」
「やはり川崎さんには相談しましたよ。両親は…写真のことなんかわからないですからね。でも、せっかく入った会社を辞めてカメラマンになるなんて、やっぱり不安でしたよね」
次号・配信号もお楽しみに!!
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