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STILL LIFE a moment's eternity 『一瞬の永遠』 アートン/8‚820円
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HASHIGRAPHY Future Deja Vu 『未来の原風景』 アートン/8‚820円
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『十万分の一秒の永遠』 著=立松和平 写真:HASHI(橋村奉臣) アートン/1‚260円
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自分を解き放って一人になりたい
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家業を継ぐために大阪の実家に戻ったときには、写真のことはあきらめようと思っていたという。“夢というのは現実に即した夢でなければいけない。家族を不幸にするような夢ではいけない。僕がフォトグラファーを目指すことは、家族を不幸にするんだ”そう自分に言い聞かせていたのだ。
「でもね、実家に帰ってしばらく家の仕事を手伝ってみたんだけど、どうしても“本当に僕の人生はこのままでいいのかな”という思いがぬぐいきれなくてね」
「両親は、そんな僕に対して、どうしたらいいか分からなかったようですね。母とは何回も話をしましたよ。機会があるごとに、自分の気持ち、自分の状況を話して、“僕は自分自身で自分の道を探さないとダメなんだ”“フォトグラファーになって写真を撮り続けたいんだ”ってことを伝えました。そんな夢みたいなことを追いかけないで…というようなことを言われ続けたけど、僕は自分の思いを信じていたし、変えることはできなかった」
「母とは、意見は対立したけど、感情的になったことはないですね。何度も何度も説明して、それを母も辛抱強く僕に付き合ってくれてね。そんな日が続いたある日、僕は仕事ができなくなってしまったんです。“自分には本当に向いていない、でも母や義父の思いを考えると辛い”どうにもならない思いが強く、大きくなってしまい、とうとう嘔吐してしまった。そして自分の部屋から店に行くこともできなくなったんです」
「そこまで自分が追い詰められてはじめて、“やっぱりもうダメだ。自分に合った仕事を探さなきゃ!”って思った。それで僕は放浪の旅に出たんです」
「お金なんか無いから、移動はヒッチハイク。民宿もホテルも泊まらないで、出会った人の家の泊めてもらう。でも、そういう旅は、実は高校生のころからやっていたんだよね。若いうちは若い時にしかできないような旅をしようって決めていたから」
「沖縄本島、久米島、宮古島、石垣島、竹富島、西表島…と転々と旅をして、色々な人たちに出会った。そして、写真を撮りながら旅をしていくなかで、僕は“やっぱりこの国を出よう”って思い始めた。出るべきだと思ったんです」
フォトグラファーを目指そうと決めて家を出た、自分探しの旅。そして、旅の中での様々な出会いから橋村さんが導き出した答えは…。
「日本国内では、どこへ旅してもいい人たちと出会うことができて、すばらしい縁を与えてくれたけれど、僕はそれを外国で体験してみたいと思ったんです。僕を知る人が誰もいない、誰も知らないところへ行きたい。それまでの僕には、いつでも母をはじめとした“家族”が一緒にいた。そういう環境から、一度自分を解き放して、一人になってみたいと思ったんです」
海外へ飛び立つにあたって、一番最初に理解を得なければならなかったのは、最愛の母の他にも、もう一人いた。それは、当時、橋村さんが結婚を約束していた女性だった。二人は、二人の将来のためにと、こつこつとお金も貯めていたのだ。
「このままの家業を手伝って30代、40代…と歳を重ねていった時の、自分の人生が想像できてしまったんです。それで、やっぱり僕は、こういう人生は選べないと思ってしまった。彼女は、そんな僕の思いを受け入れてくれたんです」
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僕は僕の道を探そう
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フォトグラファーになろう。外国へ行こう。その一心で、橋村さんは日本を出ることになる。フォトグラファーとしての具体的なイメージはまだなかったが、とにかく自分らしい生き方をしたい、という思いに突き動かされていたのかもしれない。
「フォトグラファーのことなんてよく分かっていなかったんです。もちろん有名なフォトグラファーの名前や作品は知っていたけど、“僕は他の人とは違うんだ”っていう思いがあった。でも、そういう気持ちって大事だと思うんですよ。先人たちの生き方から、学ぶことはたくさんあると思う。でも、どんなに有名であっても、他の人がやったことと同じことをやっても仕方ない。僕は、どうしたら自分らしい生き方ができるのか、自分らしい作品が作れるのかと考えた時に、やっぱり他の人とは違う人生を送ろうって思ったんです」
「あの頃は、どちらかというとドキュメンタリーかファッションに興味がありましたから。やっぱりファッションは華やかそうだったから、みんな憧れるんですよね。それに、当時はロバート・キャパの「ちょっとピンボケ」が流行ったりして、一時期僕もそれに順じたこともあったけど…でもやっぱり、自分は社会派的な写真ではなくて、もっとクリエイティブな写真の方が向いているんだって思った」
当時の日本は、アメリカからの影響を強く受けていて、みんながアメリカから入ってくる最新のものに憧れ、真似をしていた時代だった。そしてそれは、写真の世界でも例外ではなかった。橋村さんは、日本がアメリカの真似をしているのなら、その本場のアメリカへ行こうと考え始めていた。
「そこに行かなければ、見えないだろうと思ったんです。僕は僕の道を探そう。やはり他の人と違うものを表現できる人間になるには、人とは違う体験をするべきだって。そのためには、親兄弟、特に一番愛している母から離れて、自分の道を探すべきなんじゃないか!そういう気持ちになったんです」
次週(11/20配信号)もお楽しみに!!
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