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『朱殷』 求龍堂 /2006年5月 3‚990円
■「『朱殷』刊行記念−格闘動物の世界−」
・日時 2006年9月26日(火)〜10月11日(水) ・場所 青山ブックセンター本店内ウォールギャラリーにて
■桑島維Presents フォトマニア・アカデミー『朱殷』−格闘動物の世界−・日時 10月14日(土) 14:00〜16:00(予定) ・場所 青山ブックセンター本店内・店内A空間にて ・定員 60名様 ・入場料 500円(電話予約の上当日清算)
<<ゲスト>> 大橋修、落合慶紀(フィッシュデザイン) *グラフィックデザイナー
田邊慎太郎(ワイデン+ケネディ トウキョウ) *アートディレクター
※予約受付 青山ブックセンター本店 電話03−5485−5511にて予約開始 (受付時間10:00〜22:00)
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『闘牛島徳之島』 平凡社/2005年5月 3‚990円
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突然の帰国、そして営業
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デジタルフォトグラフィー科に編入して半年後の1997年暮れ、当時付き合っていた彼女との結婚を機に退学。しかも父親の病気が発覚し、急遽帰国することになった。4年間イギリスの学校で多くのことを学んだとはいえ、実績も何もないままでの帰国。日本での新たなスタートに不安はなかったのだろうか?
「僕は、オプティミストというか、なんでも良い方に考える人間なんです。本当に深く考えていなかったんですね。ただ、今でもそうですけど、やっぱり自分が面白いと思うものを伝える手段としては、コンテンポラリーな雑誌で最初に表現するのが一番だと思ったので、いろんな雑誌の編集部に売り込みに行きました。でも、当時はいつまでたっても連絡はこなかった。だから、もしかしたら僕の写真って違うのかな”って」
結局、義父の紹介で、山梨県で広告代理店へ就職。営業、企画、デザインを担当し、カメラマンに指示を出す立場になった。広告代理店に就職した時点で、桑嶋さんは既に27歳。毎月給料をもらえ、生活は安定した。
「それでも写真は撮り続けていました。写真を撮りたくて仕方がなくて、営業へ行くときにもカメラを持っていましたね。対象物は、山梨県らしいもの。その土地に行かなければ分からない、面白いものです」
ライフワークのように撮り続けたそれらの写真は、2005年『山梨日日新聞』で連載されることになった。週に1回、写真と文章で綴られた連載は、当初6回の予定を超え、全23回の連載となった。
「僕たちの周りには、ちょっと面白いなと思っても、行ってみなければ分からないことがたくさんあるんですよ。そして、僕がその場所に行けたのは、やっぱり写真家だからだと思うんです。写真を通じて、コミュニケーションをとれたり、知らない世界を垣間見ることができるんですよね」
「僕は、“こんな面白いことがあった”とか“こんないい子がいた”っていうことを、まず人に伝えたいって思うんですよ。そうやって撮りためていたものや、新たに取材したものを、日日新聞の連載で発表させていただいたというわけです」
「同じ日本国内であっても、カルチャーギャップを楽しむということかな。そういう感覚は、僕の生まれ育った環境、子供の頃の転校生活から感じたものそのままなんです」
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やっぱり写真がやりたい!
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義父の紹介でせっかく就職した会社だったが、その約1年後に辞めてしまう。
「ある時、仕事で、1億円のスタジオを持つカメラマンの事務所へ行ったんです。事務所や美容室もついて、すごくかっこいいスタジオだった。でも、そのカメラマンは、仕事以外ではカメラを持つこともなく、自分の作品も撮らないって言うんですよ。僕は、こんなに写真が好きで、いつでもカメラを持って写真を撮っているのに…。だったら、もう一度勝負してみようと思ったんです」
会社を辞め、再び写真を持って、東京で営業を始めてはみたものの、やはり期待していたような反応を得ることはできなかった。編集部からの電話は鳴らなくても、毎日の時間、生活は規則正しくめぐってくる。とりあえずお金を稼ぐために、桑嶋さんは、自宅近くのレンタルビデオ屋でアルバイトを始めることにした。
「そのレンタル屋さんの先輩にあたる人も、実はカメラマン志望だったんです。東京で写真の学校を出て、カメラマンになるぞ、という矢先に父親が倒れてしまい、地元の山梨に帰ってきたらしいんです。彼は、広告写真をやりたかったみたいで、僕はいろいろな話を聞いて勉強させてもらいました」
ある時、写真展を見るために先輩に連れられて行ったのが、山梨県立美術館だった。
「二科展か何かで賞を受賞した人の写真展でした。また僕の悪い癖なんですけど、その作品を見た時に『この人が写真展をできるなら、僕にできないわけがない!』って思っちゃったんです(笑)」
「そこで僕はさっそくイギリスで撮った自分の作品を持って、美術館に直接交渉に行った。そうしたら、キュレーターの方が一発OKしてくださって、一番大きな会場を貸してくれたんですよ。『僕の作品で、この山梨にも風穴を開けなきゃ!』って、それがそのまま写真展のタイトルに。『エアーホール2000』です(笑)」
写真展の開催が決まったと同時にアルバイトを辞めた。『また僕の悪い癖なんだけどね…』と桑嶋さんは言うが、それだけの強い思いと行動力がなければ、今の桑嶋さんのスタイルはなかったのではないだろうか。何かに対する“思い”、はあっても、めぐってくるチャンスやタイミングをうまく自分のものにできる人というのは、なかなかいないのかもしれない。
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僕のサンクチュアリ
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山梨での写真展が決まる以前から、東京での営業活動は地道に続けていた。そんな桑嶋さんに、ある一つの転機が訪れる。
「ある日、『DUNE』という雑誌の林文浩編集長から突然連絡がきたんです。今度“サンクチュアリ”というコンセプトで、9人の若手写真家による写真を掲載するんだけど、それに参加しないかって。その他の8人は、錚々たるメンバーでした。吉永マサユキさん、石坂直樹さん、菊池修さん…」
一人一箇所ずつ場所が振り当てられ、桑嶋さんが担当したテーマは“富士山”。新しく出版された写真集『朱殷』にも掲載されているが、桑嶋さんが撮影した“サンクチュアリ”は、薄紫色に染まる富士山を背にした小さな墓地に、おばあちゃんから孫までの親子3世代がいて、その空間を夕日が照らしているというものだった。タイトルは『祖霊家ラ』(それから)。
「富士山って、日本人にとって昔から何か特別な山なんですよね。父権の象徴だったり、霊山として祭られたり…様々なものの象徴だったりするんです」
「この写真を撮影した場所は、山梨県の忍野村。忍野八海という湧き水で有名な土地なんです。お墓というのは、昔から、その村の中で一番景色のいい場所に作るでしょ。しかも、このお墓は後ろに富士山がそびえ立っている。だから、この場所というのは、きっと何百年も前から人々にとって特別な場所だったんじゃないかと思ったんです」
「そこに写っている3世代にわたる4人の家族は、古いものから新しいものが、ひとつの輪になっているような絵にしたかった。サンクチュアリと呼ばれるようなところは、時代や流行的なものに流されない、ということを表したかったんです」
次週(10/2配信)もお楽しみに!!
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