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『朱殷』 求龍堂 /2006年5月 3‚990円
■「『朱殷』刊行記念−格闘動物の世界−」
・日時 2006年9月26日(火)〜10月11日(水) ・場所 青山ブックセンター本店内ウォールギャラリーにて
■桑島維Presents フォトマニア・アカデミー『朱殷』−格闘動物の世界− ・日時 10月14日(土) 14:00〜16:00(予定) ・場所 青山ブックセンター本店内・店内A空間にて ・定員 60名様 ・ゲスト フィッシュデザイン ほか
※詳細は決まり次第、お知らせいたします。
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『闘牛島徳之島』 平凡社/2005年5月 3‚990円
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国内カルチャーショック
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桑嶋さんが小学校に上がる年、父親の転勤で、桑嶋一家は大阪へ引っ越すことになった。父親はいわゆる転勤族。その後も、桑嶋さんが小学4年生の終わりから5年生にかけてを兵庫県で、6年生の1年間を愛知県岡崎市で、そして中学、高校時代を同じく愛知県の豊橋市で過ごすことになる。
「最初に引っ越したのは、大阪は東淀川区。そこがまた、当時治安が悪い地域ベスト5に入るんじゃないかっていうような場所でね。本当にいろんなことがあって、面白かったところでしたよ。一般に“当たり前”とされている概念が、僕の中で常に覆されていくような感じだったんです」
「住んでいた地域がちょっと特殊だったのかもしれないけど、とにかく生まれ育った環境っていうのも、写真をやっていく上で、いろんなネタというか、引き出しというか、すごく役に立っていると思います。おかげで、今も写真の仕事をしていく上で、僕は大抵のことでは驚かなくなりました(笑)」
同じ環境にいても、そこで起こっていること、目にしたことを面白いと思えるかどうか、それは全く人それぞれだ。単に生まれ育った環境によるものだけではなく、桑嶋さん自身が明るく前向きな性格だからこそ、どんなことも新しい発見として楽しめたのではないだろうか。
転勤族の父親について、関西、東海を転々とし、繰り返される“転校生”という立場が、桑嶋さんの積極性や自己表現能力を培っていったともいえるようだ。
「転校して行く先々では、言葉が違うから、自分からどんどん発していかないと理解してもらえないんですよ。僕みたいに、常に外から入っていく場合には、自分が何を考えているのか分かってもらったり、認めてもらうためには、自分から何らかのアクションを起さなければ何も始まらなかったんですよね。とにかく自分からどんどん話しかけて、積極的にそのコミュニティーに入っていった。生徒副会長も務めましたよ。」
「大阪に限らず、どこへ行ったときにも、僕はそのギャップみたいなものを楽しんでいましたね。言葉だけじゃなくて、食文化とか、習慣の違いとか、同じ日本であっても受けるカルチャーショックみたいなものが、すごく面白かったんです」
「それが、今、まさに僕が写真で表現しているもの、そのものなんですよ。日本にいながらにして感じるギャップの面白さです」
高校も、地元で一番レベルの高い県立高校に入った桑嶋さんだが、進学先とか、将来のことはどのように考えていたのだろう。
「一時期は、医者や弁護士を目指していたこともあったんですが(笑)、大学受験を前に、僕はまた勉強しなくなっちゃった。先生も僕らを大学へ行かせようと必死でね、“大学は行ったほうがいいぞ〜。ここだけの話な〜、先生も昔は…”って感じで、毎日のように説得されましたね(笑)」
なぜ大学に行きたくないと思い始めたのか?
「高校3年生の時に、友達の女の子が『JUNONスーパーボーイズコンテスト』に僕のことを応募したんです。そうしたら、優勝こそしなかったものの、なんと決勝まで残っちゃったの」
「それでもう、地元に戻ってきたら、天狗ですよ。“まあ、僕は俳優か何かになるんじゃないのかな〜!”ってね(笑)。でもね、その後スカウトも何も、一切来ませんでした。今になって冷静に考えてみたら、スカウトが来るわけがないんですよ。まずね、センスがない。今っぽいファッションをしているとか、歌がうまいとか、僕にはそういうものが何一つなかったから」
「田舎者の僕は、一人で、ワインレッドのダブルスーツを着て出たんです。一人ヤング松方弘樹ですよね(笑)。更に、一芸を見せるにあたって、歌を歌ったんですが…。本当に、その時まで全く気づかなかったんですが、僕は驚異的な音痴だったんです。だから、俳優にしても、歌手にしても、スカウトが来るわけなかったんです」
「高校を卒業した時点では、俳優になるか、音楽のビデオクリップの監督になるか、この2つしか考えていなかった。僕は音楽が好きで、特にビデオクリップを見るのが好きだったんです。当時、海外留学が流行っていて、それで僕も海外へ行こうと思って、イギリスに渡ったんです。きっかけは、好きなアーティストがたまたまイギリスのバンドだったから。BlurとかOasisとか、いわゆるブリティッシュロック全盛の時期で、僕も好きだったんですよ」
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“孤独な天才”と信じてた
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イギリスでは、まず語学学校に入って英語の勉強。セントラルセントマーチン(Central Saint Martins College of Art & Design)への入学を希望していたため、そこのファンデーションクラス(基礎クラス)で、グラフィックデザインや写真の授業を受けていた。
「僕は、映画の勉強をしようと思っていたから、ムービー制作のコースも受講しました。フィルムというのは、24分の1フレーム、または30分の1フレーム、つまり1秒間に24個又は30個のカットが流れるわけです。そこで僕は、“30分の1フレームごとに完璧な絵を作ることができれば、それらのカットの連続であるひとつのムービー作品は、ものすごい傑作になるはずだ!”と思ったんです」
「“1フレームの完璧な絵を作りたい!!”“やっぱりまずは写真からだ” それで写真を始めることにしたんです。イギリスやアメリカでは、ファッションフォトグラファーがミュージックビデオクリップを撮ることが多いですしね。それからは、毎日どこへ行くにもカメラを持って、友達を撮ったり街を撮ったり…写真にどんどんハマっていきました」
当時、ファッションのマーケティングを学んでいた桑嶋さんは、写真をもっと学ぶために広告制作の学科に編入した。
「写真で食べていくには、やはり広告系の写真、つまりクライアントがいて、依頼を受けて写真を撮るという方が一般的ですよね。アート系では、なかなか仕事に結びつかないですから。それにアートというのは、自分の中にあるものを表現するのであって、人から教えてもらうものではない。それで、広告業界がどういう仕組みになっていて、どうやったら広告の仕事ができるのかといったことを勉強しようと思ったんです」
それまで、音楽のビデオクリップが好きだったとはいえ、いざ写真を始めてみて、その作品はどんなものだったのだろうか?
「本当にひどいもんですよ(笑)。今はカメラが進化しているから、露出に関してはそんなに問題ないんです。でもね、初めて入れたフィルムで撮ったものが、骸骨の模型(笑)。しかも、その骸骨にポーズをつけさせていて、それがまた本当にセンスがない。その時は、必死で色々と試行錯誤して形を作ったんでしょうけど、でも何をしているのか分かってなかったんですね」
「写真を撮る時には、自分が何を撮りたいのか、何故撮るのか、何をやりたいのか…そういったことが一番大切なんだなぁって思いますね」
「僕の場合は、写真を始めたのが22歳だけど、カメラマンを目指す人って結構子供の頃から写真が好きで撮っているような人が多いでしょ。でも、自分が“何を撮りたいのか”っていうのは人それぞれで、年齢とは関係ないところがある。場合によっては、カメラマンとして売れっ子になってから気づく人だっていると思いますよ」
最終的には、デジタル・フォトグラフィー科に編入。22歳から写真を始めた桑嶋さんとは対照的に、昔から写真をやっていたり、プロの広告カメラマンもいたりとはっきりとした目的を持った生徒たち中で学ぶ。
「課題が出て、その作品についてみんなでディスカッションするクラスがあったんですが、僕はその授業が一番楽しかったですね。僕の作品は…発表の後の質疑応答でも、何も意見が出なくて、すぐに次の人に移ってしまいましたが(笑)。今にして思えば、センスなかったんだなぁって思いますけど、その当時の僕は、“あ〜やっぱり天才って孤独だな〜”ぐらいにしか思ってなくて、意見がないことなんて全然気にしていなかった(笑)。100歩下がったとしても、“僕は外人だから、意見を言っても分からないから言わないんだろうな”くらいにしか考えていなかったんです。当時は、本当にそう思っていたんですよ(笑)常に前向きなんです。」
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面白いと思ったものを自分なりに撮る
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スタジオでの広告写真撮影は、モデルの手配からヘアメイクまで、ほとんど学生同士が集まって、試行錯誤して作品を作っていく。
「大事なのはコンセプトですよね。ファッション写真て、広告でしょ、そこにあるメッセージというのは、クライアントの意向を表しているものだから、僕のものじゃない。それに学生時代に作っているようなファッション写真なんて、そのブランドの企業イメージやCI(企業理念)が含まれているわけでもない。かといって、そこに自分の哲学があるわけでもないから、自分独自のアートとも言えないわけですよね」
「だから、クライアントありきの広告写真というものを、どう表現したいのかが分からなかったんですね。それだったら、何かひとつのテーマの中で、スナップフォトを撮っている方が、ずっとコンセプトがあると思ってました」
桑嶋さんが、広告写真という制約された表現の中に“自由”を見出したのは、ユーゲン・テラーの写真との出会いがきっかけとなった。
「例えば、クリップオンストロボを直に飛ばして、モデルの目が赤目になってしまっても、そのまま大企業の広告として使われているんですよ。その時初めて“写真て自由だな〜”って思ったんです」
「広告写真が自由というよりは、撮っている人の自由な雰囲気、相手との自由な距離感というのが分かって、それがすごく嬉しかったですね。そこまでいけるのは、稀なケースだと思うし、そういった表現が受け入れられるまで、またそういう立場に至るまでには時間がかかったとは思いますけど。ただ、そういうフォトグラファーの裏側の苦労は抜きにして、当時、一人の一般読者としてそれらの広告を見た時に、すごく“自由”を感じられた。“何でもありなんだぁ”って。コンパクトカメラで、ノーファインダーでシャッターを切っても全然OKなんだってね」
「学校で習うことって、露出を計ってポラを切って、フィルムは切り現して…ひとつひとつを正確に確実にこなしていくことだった。それももちろん大事なんだけど、でもそれらを“崩す自由”があるんだってことがすごく新鮮で、感化されましたね」
その“自由でいいんだ”という気づきは、桑嶋さんの作品の中にはどのような形でいきてきたのだろうか?
「テクニック的なものではないですけど、自分がいいと思ったものを撮ればいいんだって思いました。それまでは、これいいなって思っても、自信を持てなかったりしたんです。本当にこれ面白いのかなとか、本当にこれはきれいなのかな、もしかしたらオシャレじゃないかもしれないって、自分が心動かされたものを撮る前に、ストップをかけてしまうところがあって…。」
「でも、そういった自分の中の壁がひとつ取っ払われた気がします。僕が面白いと思ったら、それを僕なりに撮ればいいって。例えば、本棚の中の本が斜めになっていたとしたら、その斜め具合を、自分なりにいかに撮るかを考えればいいんです。そうやって表現することに躊躇しなくなりました」
次週(9/25配信)もお楽しみに!!
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