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SUWA 1‚995円/アクセス・パブリッシング/2005年8月
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Tokyo Generation 1‚890円/河出書房新社/1999年
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写真学生 520円/集英社/2004年
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ASIAN JAPANESE2 1‚427円/情報センター出版局/1996年
最新刊・エッセイ集 『写真展に、行ってきました』 1‚575円/平凡社/2006年2月1日
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最初の旅というのは、二度とできない旅
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「写真を撮る行為というのは、自問自答を続けることだと思うんです」
「アジアン・ジャパニーズのテーマは事前に考えて行ったけれど、現地で撮る時も、常に色々なことを考えるわけです。例えば、構図はできるだけ似ないように気をつけたりしましたよ。『昨日撮った人は、縦位置で、割と引いて撮ったから、今日もし誰かに会ったら、よって撮ってみよう』とかね」
「でも、プリントの段階になったら、もう何も考えずに黙々と焼いています。考えて考えて撮影してきたものですから、暗室に至までには、すでにイメージはできているわけですからね。基本的には黒焼きといって、全体的に黒く焼き込んでいきました。それは学生の頃から変わっていないですね」
当時は、新聞社にいたときの習慣で、ベタ焼きをとらずにプリントしていたという。ベタをとらなくても、フィルムだけ見て分かるようになっていたのだ。
「これまで色々なところへ旅してきましたけど、やはり最初の旅というのは、一番大きいですね。最初というのは二度とないですから」
約100日間にわたる旅から帰国した小林さんは、少しずつではあるが、フリーカメラマンとして写真の仕事を始めていた。
「アジアから帰ってからしばらくは、地味に生きていました。でも、写真以外の仕事はしていませんでした。前の会社の同僚から雑誌の仕事をもらったり、辞める前に会った写真プロダクションの方から仕事をもらったり。来る仕事は何でもやっていました」
「会社を辞めて後悔したことは、一度もなかったですね。戻りたいと思ったこともない。二度と就職しようとは思わなかった」
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ASIAN JAPANESE
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1992年、写真展を開催。そして、『ASIAN JAPANESE 1』が出版されたのは、その3年後の1995年だった。
「情報センター出版局という出版社に、写真を持ち込んだんです。旅の中で写真を撮らせてもらった人が、確か50人くらいだったかな…彼らの写真は全員分プリントして持って行きました」
「初めから写真集を作ろうとは考えていなかったんです。写真だけで伝えられるとは思えなかったので。それに、文章は書きたいと思っていました。書いたことはなかったけど…でも、書ける気はしていましたね。情報センター出版局は、文章を書くカメラマンの本を結構出していたんですよ。藤原新也さんとか、橋口譲二さんとか…。写真と文章というスタイルが、僕のやりたいことに近いかなと思ったんです」
「初めに写真を見てくれた人がよかったのだと思います。やはり、タイミングってあると思いますよ。たまたまその編集の方は僕の写真を見てくれて、分かってくれる人だったわけですから」
「『ASIAN JAPANESE 1』が出版されて、それが少し話題になったりしたことで、仕事がやりやすくなったのは確かですね。ただ、劇的に何かが大きく変わったということはないですよ」
『ASIAN JAPANESE 1』の翌年、『ASIAN JAPANESE 2』を出版。
「やはり、1冊目の時とは大きく変わりました。2回目以降は、旅を本にすることが前提になっていましたから。スタイルも完全に取材という感じです。意識も全く変わりましたね。『ASIAN JAPANESE 2』の取材の時は、テープもとっていたし、取材する相手にも『これは本になるものです』ということを伝えた上で話を聞かせてもらっているので、そこが大きく違います」
小林さんの本は、普通の旅行記のように、旅の中での出来事や感じたことだけを書いているのとは少し違う。遠い長野での記憶や、東京での生活など、時間も空間も違うものが絡み合い、それらがうまくリンクしてくるのだ。旅や出会いを通して、いつでも自分自身をも見つめているからなのかもしれない。
「人間の記憶って、決して順番に並んでいるわけではないですからね。自分の中では割と自然なことなんです。過去のものを反芻するような感じ。それは、文章を書かなくても、普段からそういう考え方をしていますね。そういう思考なんでしょうね」
生まれ育った長野、上京して以来拠点となっている東京、何度も旅をしたアジアやその他の国々。それらの場所は、小林さんの中でどのような位置づけになるのだろうか。
「どこへ行くにも東京を経由していくわけですけど、僕にとって最後に戻るのは、やっぱり長野なんだという感じですね。やはり、長野という自分の生まれ育った場所は、動きようがないものです。それはかなり強い。きっと、生まれた場所に対する思いというのは、他の人と比べても強いんじゃないかな。結局、価値観とか、何かを判断するときには、自分の生まれた場所と比べているんですよね。東京には事務所もありますけど、留まるところという感じはしないですからね」
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旅をするときのアイテムいろいろ
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最近では、旅へ行くにも6×7の中判カメラを持って行くという小林さん。旅に持って行く機材の基本セットを伺ってみた。
「最近は本当に6×7ばかりですね」
Mamiya7を2台 レンズは65mmと80mm PLAUBEL makina67を1台 レンズは80mm固定
「ボディーは、この3台を持って行きますけど、持ち歩くのは常に1台です。使い分けは、完全に気分ですね」
「PLAUBEL makina67というのは、今は中古じゃないと手に入らないですよ。荒木さんが使っているから買ったんです。それに、レンズがf2.8で明るいんですよ。以前はペンタックスの6×7も持っていたんですが、重いのでやめました」
旅の途中でカメラが壊れたことはあるが、盗まれたことは、これまで一度もないという。
「フィルムの量は、目的によって全然違いますが…10日間行くとしたら、だいたい120のブローニーフィルムを50本くらいですね。それと、最近はメールを使うので、パソコンを持って行きます」
「35ミリ一眼レフカメラを使用していた時は、カメラ2台、レンズは28mmと50mmの2本。フィルムは、10日間行くとして、やはり50本くらいかな。最初の一人旅の時は、240本くらい持って行きましたよ。実際には使ったのは180本くらいかな」
「やはり、20代の頃は、何でもバシバシ撮っていましたね。何でも珍しいということもあったと思います。でも同じ場所に何度も足を運んでいうちに、そういう撮り方はしなくなりました。それに、6×7だと撮り方も変わりますから。やはり35ミリのようにバシバシとは撮らないです」
次週(2/27配信)もお楽しみに!!
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