Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2006.02.13
vol. 71
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
写真に興味のある人なら誰でも楽しめるメールマガジンです。
画像が表示されない場合
みなさん、こんにちは。写真を撮ること、観ることが好きな人に、お届けしている雷鳥社メールマガジン「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのイタガキです。写真家の小林紀晴さんの4週目です。何かをはじめたくて、うずうずしてる、もう我慢できない、そんな時はきっと運命の神様が今だって背中をつついてくれているのかもしれません(笑)。今週もお楽しみに!!
::: PR ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
写真の学校|東京写真学園
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: PR :::

Photo365
MAGAZINES

メールアドレスの
登録・解除・変更
バックナンバー

私が写真を撮るワケ
出会いと自分を見つめ、写真表現という旅をする 写真家・小林紀晴インタビューVol.4
一度は辞めようとした写真でしたが、その波を乗り越え“写真を撮る”ということに、どんどん夢中になっていった小林さん。今週は写真学校、卒業後についてお届けします。“新聞社の報道カメラマンに就職”、報道カメラマンを目指す人なら憧れの場所に見えるのですが…。
■ Profile ■
小林紀晴(こばやしきせい)
長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真科卒業。新聞社のカメラマンを経て、1991年よりフリーに。アジアを中心に活動。旅先で出会った日本人の若者達の姿を独自の視点で捉えた写真と文章でつづられた『ASIAN JAPANESE』でデビュー。多くの若者に共感を与える。代表作には『東京装置』『ASIA ROAD』など。2001年には 『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞受賞。2000年より約1年間、ニューヨークに在住。その後は、日本に戻り、『9月11日からの僕のこと』『SUWA』などの作品を発表し続ける。著書は写真集と小説を合わせ20冊以上に及ぶ。
SUWA
1‚995円/アクセス・パブリッシング/2005年8月




















Tokyo Generation
1‚890円/河出書房新社/1999年




















写真学生
520円/集英社/2004年




















ASIAN JAPANESE2
1‚427円/情報センター出版局/1996年


思考を停止した方が楽だった
写真学校を卒業した小林さんは、業界新聞にカメラマンとして入社。報道写真が好きだった小林さんにとって、それは希望通りの就職だった。そして当然のように、新聞社のカメラマンとして、定年まで働くと思っていたという。

「報道といっても、業界紙でしたので、やはり写真は地味な写真が多いんです」

そう言って、当時小林さんが撮影した、新聞記事のスクラップブックを見せてくれた。ひとつひとつ記事ごとに切り取り、並べられている。人物や会社への取材写真が主で、事件などの撮影はなかったという。

「これらは、本当は会社の写真部のノートに貼らなければいけなかったんですけど、それを勝手に自分のノートに貼っていたんです(笑)。この頃は、もう辞めようと決めていた時でしたね」

新聞記事の上の日付には、1991年と書かれていた。小林さんが、退職した年である。

「結局、3年半で退社しました。そこでは、全く自分の意志で動くことができなかったんですよね」

「朝会社へ行って、写真部長から取材伝票を渡されて、そこで初めて、今日一日、自分が何をするかが分かるんです。家から会社へ向かう電車の中では、その日の自分の行動が何も浮かばないんですよ。考える必要がないんです。会社で伝票を受け取って、その現場へ行って写真を撮ってくる。戻ってきたら、その日のうちにフィルムを現像プリントして、終わり。毎日その繰り返しですよ」

「会社を辞めるころには、昨日の記憶と、今日やったことの記憶が入れ替わったりしていましたよ。自分では何も考えないで、同じようなことが繰り返されていたわけですから。すごく変な感じで…思考停止していましたね。考え出すと、不満や疑問が浮かび上がってくるから、思考を停止した方が楽なんですよ」

入社して2年目には、会社を辞めることばかり考えていた。フリーのカメラマンになりたい…。そして、そのための第一歩として思いついたのが、何かテーマを決めて写真を撮り、雑誌に売り込むということだった。

「5月の連休に、写真学校時代の後輩と二人で、廃止ローカル線を撮りに行ったんです。僕は北海道へ行き、後輩は九州へ。廃止された鉄道の跡をまわりながら写真を撮ってきた。そして東京に戻り、後輩と一緒に鉄道雑誌に売り込みに行ったんです。結局、半年間連載してもらえることになったんですが、取材費がでないので、やればやるほど赤字でした(笑)」

「すごく楽しかったですよ。でも結局、サラリーマンの趣味みたいなもので、好きな写真を撮って食べていくのは簡単じゃないんだなって思いました」

辞めたいけど、その先のあてが無い。それでも辞める機会を伺いながら、入社3年目を向かえた。

「ある時、たまたま、年の離れたカメラマンと知り合ったんです。その人は写真のプロダクションを経営していた。当時はバブル期で仕事も忙しかったんでしょうね。社員カメラマンが結構いたんですが、それでも追いつかなかったようです。僕が新聞社を辞めたい旨を話したら、『じゃあ、うちの社員にならないか』って言ってくれて。でも僕は、またどこかの社員になるのは嫌だなと思って、『仕事が忙しい時だけ、フリーカメラマンとして仕事をやらせてもらえないですか?』って聞いたら、それでもいいと言ってくれたんです」
どこから来て、どこへ行くのか
1991年8月で新聞社を退社。23歳だった。それからまもなく、アジアへ旅に出た。それは、小林さんにとって海外への一人旅は初めてだった。

「旅に出たのは、逃避もあったけど…旅先で写真を撮って、帰ってきたら写真展をやろうと思っていたんです。だから、初めから写真を撮るという目的はありました。ただ、そこから先は全く分からなかった。本当に手探り状態でした」

何故アジアだったのか? よく聞かれる質問だと言いながらも、少し首をひねりながら答えてくれた。確かに、人生における選択のひとつひとつに、はっきりと説明できるような理由があるとは限らないのかもしれない。

「昔から漠然と好きだったんです。テレビでよくシルクロード特集とか、インドの修行僧を訪ねる特番とかやってるじゃないですか。そういう番組が好きで、見るたびに“行ってみたいなぁ”と思っていたんです。小学生の頃も『新日本紀行』という番組が好きで、よく見ていました。すごく渋い番組で、どこかの海辺の町の漁師さんの一日を映していたり…小学生が見るような番組じゃないんですけどね(笑)」

この時、最初のアジア一人旅をまとめた本が、『ASIAN JAPANESE』となる。バンコクから始まり、アジア各地を旅する中で、小林さんが出会った日本人に焦点をあてている。何故そこに留まるのか、または旅を続けるのか。どこから来て、どこへ向かおうとしているのか。

「日本人に話を聞こうということは、初めから考えていました。もう絵が見えていたんですよ。でないと、ああいう形で人を撮ることはできないですね」

でも、何故日本人だったのか?

「行く前に色々考えていたんです。それ以前にも2回程、ツアーと仕事でアジアへ行ったことはありましたが、いきなり一人で知らない国に行って、宗教的なことや、民族的なことにまで入り込んでいくことはできないだろうと思いました」

「じゃあ、自分には何が撮れるか。そこで思いついたのが、旅をしている、自分と同じ日本人だったんです。写真学校の時の先輩で、インドなどを長く旅してきた人がいたんですが、その人が旅から帰ってきた時、風貌がすっかり変わっていたんですよ。なんか、かっこいいなと思って。そういう人たちなら撮れるって思ったんです」

「それに、それまでもアジアを撮っている人はたくさんいたけれど、アジアを旅する“日本人”を撮っている人はいなかったので…」

出版された『ASIAN JAPANESE』は、写真集ではなく文章が中心の単行本だった。写真のテーマは決まっていても、まさか執筆することになるとは、小林さん自身も考えていなかったという。

「写真展の際に、その人が旅に出た理由や、そこまでどのようなルートを辿ってきたのか、旅の中でその人がつぶやいた言葉なんかを入れたいなとは思っていたんです。だから、そういうことはメモしていた。その時は、本にして出版しようなんて、そんな発想すら浮かばなかったですよ」

「最初は、日本人に声をかけるのにも、すごく勇気がいりました。着いたバンコクで、安宿の前の屋台に日本人がかたまってしゃべっているのを見つけたんです。みんな“長い旅の果て”みたいな感じの人たちばかり。Tシャツ、半ズボンにサンダル姿。そういうのが、“絵になるなぁ”って思いました。でも、怖そうだなぁって思って、僕はその前を行ったり来たりしていた(笑)。しばらくして、意を決して『アジアを旅している人を写真に撮りたいと思っているのですが、ちょっと撮らせてもらえませんか?』って話しかけたんです。そうしたら、『あぁ、いいよ』と言って撮らせてくれました」

旅で出会った日本人の中には、小林さんのように、会社を辞めて旅に出た人もいれば、学生もいた。もう何年も旅を続けている人、何カ国も回ってきた人、そこに留まり続ける人。旅に出た理由も目的も、これから先の計画も違う。みんなが、それぞれの理由を持っていたりいなかったり…。

「あの頃は、今とは少し時代が違うんですよね。当時はバブル期だったんですが、世の中に対する反発、社会からはじき出されたような感がありましたね。みんな忙しく働いて、お金だけはたくさんある。そういう社会に対する、違和感のようなものを感じていたんだと思います。敏感な人たちだったと思いますよ」



次週(2/20配信)もどうぞお楽しみに!!

写真


今週のPICK UP


近刊写真集&写真展

【写真集予約受付中】

『ブルー・ノート』 
■写真・文 タクマ クニヒロ
雷鳥社刊 96頁 1‚575円 
■2月21日発売予定
■メールマガジンにもご登場いただいた写真家・タクマクニヒロ氏の写真集。25歳で会社を辞め、独学でカメラマンになった著者から、夢に向って一歩踏み出せず、迷えるあなたへ贈る心に響く一冊。
■2/20までご予約いただいた方には、著者サイン入り本をお送りいたします。ご予約は雷鳥社まで。



【写真展】
グループ展「Route 24 それぞれの通過展」 
フォトピア写真教室ハーベストクラス 24名
■2月18日(土)まで 入場無料
■ギャラリー千スペース 3F
 大阪市北区西天満4−8−3
■12:00〜19:00(最終日は17:00まで)
■問い合わせ 06-6364-2011 
空のブルー、波のブルー・・・。
ブルーってこんなにきれいな色だったんだ・・・

::: PR ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
編集の学校/文章の学校
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: PR :::

編 集 後 記
思考停止した方が楽な時…というよりも、せざるを得ない時期、私にもそういう経験があります。でも、やっぱりそれって無理なんですよね。自分が自分じゃなくなっていって、どうにもならなっくなる。そうなるまで待つ必要なはいけれど、結果的になってしまったら、自分を取り戻すためのプロセスだったと考えた方がいいでしょう。次のステップに踏み出すための勇気やタイミングというのは、なかなか難しいけど、でもちょっと考え方を変えると、実はいつでもあるんじゃないかというような気もします。(Mariko Hanaoka)
問 い 合 わ せ
雷鳥社マガジン
URL: http://www.raichosha.co.jp/mm/
 広告のお問い合わせ: http://www.raichosha.co.jp/mm/ad.html
ご意見・ご感想: photo@raichosha.co.jp
登録の解除をご希望の方は、下記のURLによりお願いします。
  http://www.raichosha.co.jp/mm/photo.html
メールマガジンにご登録いただいていらっしゃる方々には雷鳥社より、不定期で新刊案内等を自動的に配信させていただきます。どうぞよろしくお願い致します。
「Photo 365 MAGAZINE」に掲載された記事の無断転載を禁じます。
Copyright. © 2004- Raicho-sha All Rights Reserved.