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SUWA 1‚995円/アクセス・パブリッシング/2005年8月
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Tokyo Generation 1‚890円/河出書房新社/1999年
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写真学生 520円/集英社/2004年
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ASIAN JAPANESE2 1‚427円/情報センター出版局/1996年
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思考を停止した方が楽だった
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写真学校を卒業した小林さんは、業界新聞にカメラマンとして入社。報道写真が好きだった小林さんにとって、それは希望通りの就職だった。そして当然のように、新聞社のカメラマンとして、定年まで働くと思っていたという。
「報道といっても、業界紙でしたので、やはり写真は地味な写真が多いんです」
そう言って、当時小林さんが撮影した、新聞記事のスクラップブックを見せてくれた。ひとつひとつ記事ごとに切り取り、並べられている。人物や会社への取材写真が主で、事件などの撮影はなかったという。
「これらは、本当は会社の写真部のノートに貼らなければいけなかったんですけど、それを勝手に自分のノートに貼っていたんです(笑)。この頃は、もう辞めようと決めていた時でしたね」
新聞記事の上の日付には、1991年と書かれていた。小林さんが、退職した年である。
「結局、3年半で退社しました。そこでは、全く自分の意志で動くことができなかったんですよね」
「朝会社へ行って、写真部長から取材伝票を渡されて、そこで初めて、今日一日、自分が何をするかが分かるんです。家から会社へ向かう電車の中では、その日の自分の行動が何も浮かばないんですよ。考える必要がないんです。会社で伝票を受け取って、その現場へ行って写真を撮ってくる。戻ってきたら、その日のうちにフィルムを現像プリントして、終わり。毎日その繰り返しですよ」
「会社を辞めるころには、昨日の記憶と、今日やったことの記憶が入れ替わったりしていましたよ。自分では何も考えないで、同じようなことが繰り返されていたわけですから。すごく変な感じで…思考停止していましたね。考え出すと、不満や疑問が浮かび上がってくるから、思考を停止した方が楽なんですよ」
入社して2年目には、会社を辞めることばかり考えていた。フリーのカメラマンになりたい…。そして、そのための第一歩として思いついたのが、何かテーマを決めて写真を撮り、雑誌に売り込むということだった。
「5月の連休に、写真学校時代の後輩と二人で、廃止ローカル線を撮りに行ったんです。僕は北海道へ行き、後輩は九州へ。廃止された鉄道の跡をまわりながら写真を撮ってきた。そして東京に戻り、後輩と一緒に鉄道雑誌に売り込みに行ったんです。結局、半年間連載してもらえることになったんですが、取材費がでないので、やればやるほど赤字でした(笑)」
「すごく楽しかったですよ。でも結局、サラリーマンの趣味みたいなもので、好きな写真を撮って食べていくのは簡単じゃないんだなって思いました」
辞めたいけど、その先のあてが無い。それでも辞める機会を伺いながら、入社3年目を向かえた。
「ある時、たまたま、年の離れたカメラマンと知り合ったんです。その人は写真のプロダクションを経営していた。当時はバブル期で仕事も忙しかったんでしょうね。社員カメラマンが結構いたんですが、それでも追いつかなかったようです。僕が新聞社を辞めたい旨を話したら、『じゃあ、うちの社員にならないか』って言ってくれて。でも僕は、またどこかの社員になるのは嫌だなと思って、『仕事が忙しい時だけ、フリーカメラマンとして仕事をやらせてもらえないですか?』って聞いたら、それでもいいと言ってくれたんです」
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どこから来て、どこへ行くのか
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1991年8月で新聞社を退社。23歳だった。それからまもなく、アジアへ旅に出た。それは、小林さんにとって海外への一人旅は初めてだった。
「旅に出たのは、逃避もあったけど…旅先で写真を撮って、帰ってきたら写真展をやろうと思っていたんです。だから、初めから写真を撮るという目的はありました。ただ、そこから先は全く分からなかった。本当に手探り状態でした」
何故アジアだったのか? よく聞かれる質問だと言いながらも、少し首をひねりながら答えてくれた。確かに、人生における選択のひとつひとつに、はっきりと説明できるような理由があるとは限らないのかもしれない。
「昔から漠然と好きだったんです。テレビでよくシルクロード特集とか、インドの修行僧を訪ねる特番とかやってるじゃないですか。そういう番組が好きで、見るたびに“行ってみたいなぁ”と思っていたんです。小学生の頃も『新日本紀行』という番組が好きで、よく見ていました。すごく渋い番組で、どこかの海辺の町の漁師さんの一日を映していたり…小学生が見るような番組じゃないんですけどね(笑)」
この時、最初のアジア一人旅をまとめた本が、『ASIAN JAPANESE』となる。バンコクから始まり、アジア各地を旅する中で、小林さんが出会った日本人に焦点をあてている。何故そこに留まるのか、または旅を続けるのか。どこから来て、どこへ向かおうとしているのか。
「日本人に話を聞こうということは、初めから考えていました。もう絵が見えていたんですよ。でないと、ああいう形で人を撮ることはできないですね」
でも、何故日本人だったのか?
「行く前に色々考えていたんです。それ以前にも2回程、ツアーと仕事でアジアへ行ったことはありましたが、いきなり一人で知らない国に行って、宗教的なことや、民族的なことにまで入り込んでいくことはできないだろうと思いました」
「じゃあ、自分には何が撮れるか。そこで思いついたのが、旅をしている、自分と同じ日本人だったんです。写真学校の時の先輩で、インドなどを長く旅してきた人がいたんですが、その人が旅から帰ってきた時、風貌がすっかり変わっていたんですよ。なんか、かっこいいなと思って。そういう人たちなら撮れるって思ったんです」
「それに、それまでもアジアを撮っている人はたくさんいたけれど、アジアを旅する“日本人”を撮っている人はいなかったので…」
出版された『ASIAN JAPANESE』は、写真集ではなく文章が中心の単行本だった。写真のテーマは決まっていても、まさか執筆することになるとは、小林さん自身も考えていなかったという。
「写真展の際に、その人が旅に出た理由や、そこまでどのようなルートを辿ってきたのか、旅の中でその人がつぶやいた言葉なんかを入れたいなとは思っていたんです。だから、そういうことはメモしていた。その時は、本にして出版しようなんて、そんな発想すら浮かばなかったですよ」
「最初は、日本人に声をかけるのにも、すごく勇気がいりました。着いたバンコクで、安宿の前の屋台に日本人がかたまってしゃべっているのを見つけたんです。みんな“長い旅の果て”みたいな感じの人たちばかり。Tシャツ、半ズボンにサンダル姿。そういうのが、“絵になるなぁ”って思いました。でも、怖そうだなぁって思って、僕はその前を行ったり来たりしていた(笑)。しばらくして、意を決して『アジアを旅している人を写真に撮りたいと思っているのですが、ちょっと撮らせてもらえませんか?』って話しかけたんです。そうしたら、『あぁ、いいよ』と言って撮らせてくれました」
旅で出会った日本人の中には、小林さんのように、会社を辞めて旅に出た人もいれば、学生もいた。もう何年も旅を続けている人、何カ国も回ってきた人、そこに留まり続ける人。旅に出た理由も目的も、これから先の計画も違う。みんなが、それぞれの理由を持っていたりいなかったり…。
「あの頃は、今とは少し時代が違うんですよね。当時はバブル期だったんですが、世の中に対する反発、社会からはじき出されたような感がありましたね。みんな忙しく働いて、お金だけはたくさんある。そういう社会に対する、違和感のようなものを感じていたんだと思います。敏感な人たちだったと思いますよ」
次週(2/20配信)もどうぞお楽しみに!!
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