Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2006.01.23
vol. 68
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
写真に興味のある人なら誰でも楽しめるメールマガジンです。
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みなさん、こんにちは。写真を撮ること、観ることが好きな人に、お届けしている雷鳥社メールマガジン「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのイタガキです。今週からは、写真家の小林紀晴さんの登場です。アジアを旅する写真家が見つめてきたものは何だったのでしょうか。今週もお楽しみに!!
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私が写真を撮るワケ
出会いと自分を見つめ、写真表現という旅をする 写真家・小林紀晴インタビューVol.1
旅先で出会った人々を独自の視点で描き続け、作家としても活躍している写真家・小林紀晴さんの登場です。第1週目は、小林さんが生まれて育った街・長野でのお話です。小・中・高と、どんな少年時代を過ごしてきたのでしょうか。
■ Profile ■
小林紀晴(こばやしきせい)
長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真科卒業。新聞社のカメラマンを経て、1991年よりフリーに。アジアを中心に活動。旅先で出会った日本人の若者達の姿を独自の視点で捉えた写真と文章でつづられた『ASIAN JAPANESE』でデビュー。多くの若者に共感を与える。代表作には『東京装置』『ASIA ROAD』など。2001年には 『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞受賞。2000年より約1年間、ニューヨークに在住。その後は、日本に戻り、『9月11日からの僕のこと』『SUWA』などの作品を発表し続ける。著書は写真集と小説を合わせ20冊以上に及ぶ。
SUWA
1‚995円/アクセス・パブリッシング/2005年8月




















life1986-2002
2‚625円/スイッチ・パブリッシング/ 2002年




















DAYS ASIA
2‚650円/情報センター出版局/1996年




















ASIAN JAPANESE
1‚427円/情報センター出版局/1995年


生まれ育った諏訪の町
1968年、長野県茅野市に生まれる。
諏訪湖で有名な諏訪市の隣に位置し、周囲は八ヶ岳などの山々に囲まれた盆地になっている。

「僕が生まれ育った場所は、今では無人駅になっているような田舎町ですよ。小学校は、1学年1クラス。本当に小さい小学校に通っていました」

実家には田んぼや畑があり、その田んぼの上の土手からは八ヶ岳が見える。それが小林さんの原風景だという。2005年に出版された写真集『SUWA』には、原風景である諏訪の町、田んぼから望む実家や遠くに連なる八ヶ岳の山々が、淡く光に満ちた写真で写し出されている。

「実家の田んぼが、区画整理によって無くなることになったんです。当時木造だった小学校は、現在では鉄筋作りに変わっているし…。写真集にする予定もなかったのですが、変わっていく諏訪の町を、たまたま撮って残しておきたくなって。それをまとめたものがこの『SUWA』です」

そこには明るい光が差し込んだような、懐かしいような、諏訪の風景が広がっている。

「僕たち兄弟は、子供の頃から田んぼの手伝いをさせられていたんです。日常的に水を出したり止めたり。田植えと稲刈りは、毎年家族全員でやっていました。だから、子供の頃は田んぼへ行くのが大嫌いでした。特に、高校生になると思春期ですからね、畑仕事をしているのが“格好悪いなぁ”と思っていて…。クラスの女の子に見られたら恥ずかしいなって」

壁のように広がる八ヶ岳
小学生、中学生のころ熱中していたこと、興味があったことは特になかったという小林さん。積極的に何かに取り組むタイプではなかったというが、小学校の6年間はスケートクラブに所属していた。

「冬は、朝6時に起きて学校へ行き、授業が始まるまで滑っていました。冬の間だけ、校庭がスケートリンクになっていたんです。スケートは3歳くらいからやっていたし、小学校では生徒の8割がスケートクラブに入っていたので、“やらない”という選択肢が考えられなかったというだけのことなんですが…。でも、スケートは地元の市大会なんかに出場したりしていたので、割と速かったと思いますよ。学校が終わると一度帰宅して、それからまた夜6時くらいから学校へ行って、ナイターで練習をしていました」

「雪が降ると、学校全体でリンクの雪かきをして、大人たちが雑巾掛けをしました。耕運機の後ろに毛布をつけて、水を少しずつ垂らしながらリンクをきれいにしていく。すごく原始的なやりかたでした(笑)」

好きだからとか、何か目的があるからということではなく、他の子供たちと同じように、スケートクラブに通った。積極的とか消極的ということではなく、諏訪の小さな町の中にあるごく普通の日常を、ごく普通に送っていたということ。土地に根付いた生活とは、その土地に当たり前にある生活であって、特別なもののことではないのかもしれない。

「諏訪というのは盆地なので、僕にとっては、完全にそこだけで世界が完結していました。八ヶ岳が壁のように立ちふさがっているので、そこで世界が終わっているような感じがしていたのかもしれません」

「本当に田舎なので、他の小学校に通っている子供に会うこともないんです。一度、クワガタを採りにちょっと遠出したことがあったんですが、その時、遠くに隣の村の小学生の姿を見たんです。怖かったですね。まるで異星人を見ているような感じがして(笑)」

「この盆地の外の世界へ行ってみたいという思いは、だんたんと強くなっていましたね。高校生2年生のころには確実にあって、漠然とですが、東京へ行こうと思っていたと思います」
ちょっとした非常事態
中学に入学すると、陸上部に入部。小学校時代のスケートクラブに引き続き、活発な子供だったのでは、と思いきや…。 

「でも、1年で辞めました。なんか面倒くさかったんです(笑)。元々、3つ年上の姉が陸上部に入っていて、姉から勧められて入ったんです。冬にスケートができるから、ということもあったと思いますが…。あの頃は、全国的に学校が荒れている時代で、陸上部は不良の溜まり場だったんですよ。その陸上部の部室で、制服が盗まれるという事件がよくあったんです。それは、次第に全校集会にまで発展して、犯人捜しが始まって…結構異様な感じになっていった。陸上部全員が犯人扱いのような状況になって、とうとう陸上部を一度解散するということになったんです。それで、本当にやりたい人だけ改めて入り直してください、ということになりまして、ちょっとした非常事態だったんですよ。僕としては、もう一度入り直してまでやりたいとも思わなかったから、それで辞めたんです」

ただし、陸上部での1年間、練習は真面目にやっていたという。自主的に何かをやるということはなかったが、何でも始めると一生懸命やるタイプなのかもしれないと、小林さんは言う。

「陸上部を辞めてからは、SF小説をよく読んでいました。星新一、筒井康隆…。SF好きな友達がいて、本を貸してくれたのがきっかけでしたね。それまでは、文庫本なんて存在も知らなかった(笑)。高校生になると、普通の小説も読んでいましたよ」

写真家でありながら、文章も書く小林さん。その巧みな文章表現力は、子供の頃からの読書に所以するのか。

「僕は、文系よりも、どちらかというと理系が得意でした。数学や理科…あとは美術も得意でした。家で絵を描くような洒落たことはしてなかったですけど(笑)。学校の成績は、決してトップグループに入るようなことはなかったけど、割といい方だったと思いますよ」

小林さんには、姉の他に、双子の兄が一人いる。その兄も、大学を卒業し、新聞社のカメラマンを経て、現在はフリーカメラマンとして活躍しているという。

「兄の影響は大きいと思いますよ。性格は…僕は違うと思っていますが、周りから見たら似ているのかもしれない。一緒にいる時間が一番長かったから、仲は良かったですね。小学校、中学校は同じでしたが、高校からは別々になりました。小学校時代はスケートを一緒にやっていたけど、僕の方が速かったですね(笑)。」
なんだかなぁ・・の消極的な高校時代
小林さんにとって高校時代は、“一番消極的な時代”だった。高校生活そのものへの夢は全くなく、卒業後は、とりあえず進学しようという思いだけがあった。そして、行くなら東京だと。

「高校時代は帰宅部。家に帰って『夕焼けにゃんにゃん』を見ていました(笑)。本当に何もしていなかったんです」

「写真に興味を持ったのは高校生の時で、直接のきっかけは、父親が趣味で写真を撮っていたことです。家にアサヒカメラなどのカメラ雑誌があったので、パラパラ見ていて、“こういうのが仕事になるのか〜”って思っていました。僕自身は、父の一眼レフカメラを使って、自宅の犬の写真や近所を撮ったりする程度でしたけど。でも面白いと思っていましたね」

「確か、高校3年生の時には、カメラマンなりたいと思っていたと思います。カメラ雑誌を見ていて惹かれたのは、やはり報道写真ですね。ロバート・キャパとか、ユージン・スミスとか。学校の図書館にあった土門拳の写真集を見たりもしていました」

「それから、外国の風景写真にも惹かれました。単純に“こういうところへ行けるのかぁ”っていう憧れです。今考えると、その頃から、漠然と外国へ行ってみたいなと思っていたんでしょうね。周りにはプロのカメラマンなんていなかったから、本当に漠然とした憧れでした」


次週の配信号(1/30)もどうぞお楽しみに!!



写真


今週のPICK UP


【写真展1】
「永遠なる薔薇―石内 都の写真と共に」

■開催中〜2006年1月29日(日)まで
 月曜休館 入場無料
ハウス オブ シセイドウ (HOUSE OF SHISEIDO)東京都中央区銀座7-5-5
■11:00〜19:00 ※入館は18:30まで
■問い合わせ 03-3571-0401


【写真展2】
「植田正治:写真の作法」
〜僕たちはいつも植田正治が必要なんだ!〜

■開催中〜2006年〜2月5日(日)まで
 一般500円 学生400円 毎週月曜休館(休刊日が祝日・振替休日の場合はその翌日) 
東京都写真美術館3階展示室
 東京都目黒区三田一丁目13番3号
 恵比寿ガーデンプレイス内
■10:00〜18:00 (木・金は20:00まで)
 ※入館は閉館の30分前まで
■問い合わせ 03-3280-0099
(C)Miyako Ishiuchi 2004





「パパとママとコドモたち」1949年 
(C)植田正治
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編集の学校/文章の学校
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編 集 後 記
実は約5年前にある出版社でバイトをしていた時、一度小林さんにお会いしたことがあったのです。当時、ちょうど小林さんの本「ASIAN JAPANESE」を読んだ後で、会ってみたかったので、嬉しかったのを覚えています。まさかこういう形で再びお会いできるとは思ってもみませんでした。(Mariko Hanaoka)
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