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「子供戦世のなかでー大石芳野写真集」 7‚140円/藤原書店/2005.10
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「ベトナム凛とー大石芳野写真集」 9‚450円/講談社/2000.10
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「アフガニスタン戦禍を生きぬく―大石芳野写真集」 10‚500円/藤原書店/2003.10
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まずは、自分自身を磨くこと
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近年どんどん普及が拡大しているデジタルカメラだが、大石さん自身、コンパクトデジタルカメラは持っているが、実際に取材でのデジタルカメラの導入はまだ考えていないようだ。
「デジタル化については、時代の流れですから、よりよい作品ができるのであればいいと思います。デジタルカメラの性能はかなりよくなってきていますね。キャノンの一眼レフデジタルカメラを使ったことがありますが、すごくシャープでした。ですが、私はやっぱり、重くても小さいライカのMタイプがいいですね」
デジタル化を初め、カメラというものが人々にとって身近になっている現在。誰でもシャッターを押せば撮れてしまう。そんな中、大石さんが写真を撮っていく中で感じる、写真の奥深さとは何だろうか。
「奥を深くするということは、まず自分を磨かないとね。人を撮るにしても、風景でも物撮りであっても、アートとしての写真であっても、やはり自分が磨かれていなかったり、深まっていなければ、写真の深みというのも増していかないんじゃないですか。偶然撮れることもあるかもしれないけれど、それが続くということは難しいですよね」
「最近の若い人たちの写真というのは、ほんわかした写真や、身近な写真が多かったりという印象を受けますよね。それまでは、プロカメラマンが、身近にあるような日常的なスナップみたいなものを、意識を持って撮るということをしてこなかったのですね。そういう意味では、若い人たちがそういうところに目をつけて撮ろうというのは、ひとつの開拓でもあるわけだから、面白いとは思います」
「例えば、自分の部屋の天井から下がっている電球を撮るとか、干した洗濯物とか、自分のヌードを撮ったり、初めは面白くて珍しいから、受け入れられていると思います。ただ、昔外国写真がすごく珍しかった時期があって、外国の写真だったらどんな写真でも受け入れられていたんですが、今は厳しくなりましたね。と、同じようにそういった写真も深めて磨いていかないと心配ですね」
「もちろん、流行というのはどうしてもあります。一時期、ブレボケが流行った時代があってね、その頃はピントが合っていると、写真評論家たちからも『なんだ、ピントが合っているじゃないか!』って批判されて、世の中どうなっているんだろう?って思ったこともありました。でも、今はもうそんなことを言う人はいないですよね」
「キャパのノルマンディ作戦の写真のように、ブレていることにも意味があるものと、ただ単にブレたりボケたりしているだけの写真というのは、大きく違うと思うんです」
「今の若い人たちの写真の中にも、本物はあると思いますが、それは本当に一握りの人に淘汰されていくと思います。私自身の写真もそうですけど、世の中の写真でも、それらは次第に淘汰されていくんじゃないでしょうか」
ちょっと貧しい国に旅行に行って、例えば物乞いをする子供たちの訴えかけるような顔を撮ったりすると、それだけで何かテーマ性があるような写真に出来上がってしまう。そういう写真と、プロがテーマを持って撮っている “本物”写真との大きな違いはあるのだろうか。
「それは撮り手の考え方なんじゃないですか」
たまたま通りかかってシャッターを押した写真と、いわゆるプロといわれる人が長年撮り続けたり、深く入り込んで撮った写真から伝わってくる深さの違い。受け取り手である私たちには、果たしてその違いが分かるのだろうか。
「それは、やはり写真に出るんじゃないですか。同じ人を撮るにしても、撮る人が、ただ珍しいものがある、絵になる人がいると思って撮った写真と、その人とコミュニケーションを取って何かを引き出して、あるいは自分がその人から何か強いものを受けて、それを何らかの形で返しながら撮った写真では、同じ一枚の写真でもかなり違うと思うんですよね」
「写真はカメラという機械が撮るわけですが、でもそれはやはり人間の意識の写真になるわけだから。人物だったら、撮っている人と撮られる人との何らかの意志の疏通や感じ合っているもの、あるいは相手が感じるものを上手に引き出すとか。そういったことで写っているものは変わってくるんですね。それらは、もちろん経験からくるものもあるけれど、それだけではなく、頭を使うことも必要だし、モノを掘り下げて考えるということも大事だと思います」
「対象から強く何かを感じ取って撮っているものと、何となく絵にしようと思って撮っている写真では、見れば違いが分かります。撮っている人の考えていることが写っていることが多いと思います。それが写真の面白さだし、怖さなんですよね」
「そういう違いが分かるためには、いい写真をたくさん見ることが何よりも大事だと思います。味覚と同じでね。やはり経験がモノを言う。いい写真をたくさんみていると、自分で判断がつくようになっていくんです。そうでない人にとっては、判断がつかないから、冷静に比較ができないんだと思いますね」
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“人間の暮らし”
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大石さんが写真を撮っていく中での大きなテーマ。それは、「人間の暮らし・生活」だという。つまり、人間が生きているということを、考え続けていくことでもあるのかもしれない。
「人間は誰でも、おいしいモノを食べたいとか、おしゃれをしたいとか、好きな人と一緒にいたいとか、ごく当たり前のことを求めるわけですよね。だから、それを壊されることが一番辛いわけでしょ。自然災害などによって奪われていくことも、もちろん辛いんですが、戦争などによって奪われることはもっと辛いんです。政治の暴力で押しつぶされてしまった人々というのは、本当に辛く悔しい思いをしています。だから、それを繰り返して欲しくないと思うのです。一番の悪は人間が行っている政治の暴力だと、私は思っています。その責任というのは人間である私たちの誰にでも、少しずつでもある。政治にかかわっているとか、選挙をしているということで、私たちも関わっていることになるでしょう。それに現代は日本中はむろんのこと世界中さまざまな面でつながっています。経済的にも、例えばスーパーマーケットにある外国製を除いたらほとんど残らなくなってしまう。文化も同じ。というように私たちはこの時代、同じ空気を吸って生きているということなのです。それだけに私たちは戦争などにも何らかの形で関わっていることになりますね」
「私は元々、ニューギニアや隠岐島などの撮影もして、民族学的な面での、人間の暮らしにも興味があるのです。広いテーマとしては、やはり“人間の暮らし”ですね」
「今、やむを得ずテーマを絞るような状況になっているのは、様々な国で、本当はもっと穏やかでなければならなかったのに、自分がお任せしていた政治によって戦争になってしまったということの無念さを伝えていきたいという思いがあるからでしょうか。それと同時に、いったいそこの地はどうなっているのか、そしてそこに暮らす人々はどうしているのかを知りたい、という気持ちもあります」
「本当のことを知りたい、という思いから行動に出て、現地に行けば、目にしたものを伝えたい、という思いになるのです。その繰り返しです。こうして伝えたら、また伝えた責任が出てくるので、そのまま知らん顔はできない。一生懸命話してくれた人たちに対する責任もありますよね」
「そういう意味では私の責任もなかなか終わらないと思いますので、この目と腰が続く限り、この仕事を続けていくことになるのかなと思っています(笑)」
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自分でよく考えてみることが大切
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最後に、カメラマンを目指す若い人へのメッセージを伺った。
「まずは、やはり写真が好きで、楽しんで撮る。この二つがないと、難しいかなと思いますね。それは、本当に基本になる部分です。そして、その上を目指す人は、自分が何を撮りたいのかということを、よく考えていかなければいけないと思います」
「例えば、女性を撮るにしても、何故その人を撮るのか、その女性の何を撮りたいのか、ということが明確になれば、一歩進むんじゃないかな。だから、自分でよく考えてみて下さい」
「それから、ファインダーの中を隅々までよく見て撮ること! ムービーと違って、写真というのは、たった一枚をじっくり見るわけですからね。一枚の写真は、粒子に至るまで相手に見られると思って下さい。大抵の人は、自分の撮りたいところだけにしか気を配らないんですよね。でも、写真の隅っこの方に自分が意識しなかったモノが写ってたりすると、楽しくなるでしょ。そんなことを心がけていけば、徐々に写真が楽しくなっていくと思いますよ」
大石さん、貴重なお話、 本当にありがとうございました。 みなさん、次号(1/23)もお楽しみに!!
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