Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2005.09.05
vol. 58
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
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みなさん今日も楽しくお過ごしですか? 
写真を撮ること、観ることが好きな人に、お届けしている雷鳥社メールマガジン「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのイタガキです。秋風感じる今日この頃。みなさん元気でお過ごしですか。今週も写真家・石内都さんのインタビューです。みなさんも子供の頃の思い出、好きだったことを思い出してみてください。
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私が写真を撮るワケ
生きているものを愛しむカタチ、それが写真。写真家・石内都インタビューVol.3
差別感、性の問題など、様々な“違和感”を胸に、感受性の強い学生時代を過ごした石内さん。早く自立したいと望み、好きな絵の道、美術大学へ進むことになりました・・。今週はそんな大学生時代のお話です。写真という表現方法に出会うまで、石内さんのバックグラウンドはどう作られていったのでしょうか・・・。
■ Profile ■
石内都(イシウチミヤコ)
1947年群馬県生まれ、横須賀育ち。多摩美術大学の織科中退。1970年代半ばから独学で写真をはじめる。国内外で作品を発表し続け、1979年には『アパートメント』で木村伊兵衛賞を受賞。写真集の刊行はじめ、写真展など精力的に行う日本を代表する写真家である。近年は、自身のライフワークとしても撮り続けている、傷跡の写真、爪、手足などの身体の一部を接写した写真などを作品を発表。本年は、第51回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展で日本代表として個展を開くなど、国内外から高い評価を得ている。
『scars』
人の身体に刻まれた傷をテーマに撮り続けられた写真がまとめられた写真集。蒼穹社/4‚410円/2005年

























『薔薇のパルファム』
薔薇が、もっとも匂いたつのは、いつだろう。薔薇をめぐる世界の物語と香りの最新化学をわかりやすく解説。匂いたつような薔薇の写真とともに薔薇の魅力を堪能できる珠玉の書き下ろしエッセイ。文・蓬田勝之 写真:石内都 2004年/1‚680円/求龍堂

























『マザーズ2000-2005―未来の刻印』
「第51回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館2005」の公式カタログでもある。出品作の『mother's』シリーズのほか、初期三部作、『絶唱・横須賀ストーリー』、『アパート』、『連夜の街』からも収録されている写真集。2005年/2415円/淡交社

























『キズアト』
物語として再生する無数の傷跡。写真家により写し取られた傷跡とは紛れもなく写真そのものである。未発表を含む写真56点を収録した写文集。
2005年/2‚520円/日本文教出版


確執のあった母の旧姓「石内都」
12〜13歳という一番想像力豊かな時期、周りの女の子たちが、“白馬に乗った王子様”的な夢を見ている中、石内さんの夢はとても現実的だった。とにかく、早く手に職をつけて、早く自立したかったという。

「安定を求めるということではなく、手に職をつけて自立することが、大人になるための第一歩だと思っていました。当時は、自立しようなんて考える女性は、高校時代でも周りにはいなかったですね。とにかく、初潮のショックから、私は結婚も出産もをしないと心に決めていたわけだから、自立していかなければ、という思いが強かったんです」

「といっても、男の人にはすごく興味があったんですよ。無いものねだりですよね。大学生くらいまでずっと男になりたい、と思っていた時期もあって・・・、男の人を知りたいと思っていましたね」

強い自立心の裏には、母親の影響があった。母は、石内さんを出産後すぐに働きに出ていて、石内家ではそれが当たり前の環境だったからだ。

「それは母の影響として、私はプラスに受け止めているところです。母に対する反発もあったんですが、それはまた別の問題。母個人と私の問題ですからね」

その反発とはどんなものだったのだろう。

石内さんは、母の旧姓名である「石内都」を、写真家名として名乗ることになるが、その母との確執は、母が亡くなる数年前、父の死を迎えるまで続いた。

「私はきっとわがままなの。というのは、結局、私の中に理想の母親像があって、実際の母とのギャップというのを、私がうまく埋めることができなかったのかもしれません。いわゆる、絵に描いたような母親とも違う。具体的にどうこうということではないのですが…まあ、自分の都合のいいように考えていただけなんです。わがままなだけ、今にして思えば、母には辛い思いをさせたな、と思います」

「父とは、とてもうまくいっていました。大好きでしたよ。すごく二枚目でオシャレで、自慢の父でした。私とは24歳しか違わないので、高校の父兄会に父が来ると、お兄さんみたいでしたよ(笑)。母は、そんな父からすると、とても控えめな人でした」

「両親を両方好きになるというのは…できないかもしれないですね。まあ、親子関係というのはみんな違いますから…一概には言えませんが」
父であり、スポンサーであり
石内さんが赤ちゃんのころから、父親の溺愛ぶりは相当だったという。大学進学から、写真家への道を歩み始めるにあたっても、一番のスポンサーが父であった。

「経済的な意味も含めて、今の私があるのは父のおかげかな、と思います」

大学進学にあったっては、美術大学への進学を決めていた石内さんだが、父が他の大学に行かせたかったことを、進路指導の先生から知らされた。

「父は直接私には言わなかったんですよ。本当はお嬢様になってほしかったんでしょうね(笑)。昔は美術大学に女が入るなんて、それはもう不良になりに行くようなものだって、大反対なわけですよ。でも私は反対されても、自分がこうだと思ったら曲げない性格だということを父も理解していたようで、私に対しては特に何も言いませんでしたね」

石内さんは、美術大学を受験するにあたっては、一浪までと心を決めていた。一浪して落ちたら、そのまま就職するつもりだったという。

「他の大学へ行くつもりはなかったですからね。美大を受けるにはデッサンなどの勉強をしなきゃいけないんですが、現役の時はそんなこと知らなくて・・・。高校時代は美術部に入っていたので、なんとかなるかなぁなんて思っていました。当然、技術で落ちました。結局、父には『一年だけ猶予を下さい』とお願いし、浪人時代は予備校通いをすることになりました」

「うちの父は、言えば分ってくれる人。とても論理的な人で、話せば分ってくれる人でしたから、感情的になることはなかったですね」

大学2年生になるころまでには、父親が興した事業が軌道にのり、一家はようやく6畳一間から二階建て一軒家へ引っ越すことになる。

1966年、多摩美術大学デザイン科に入学。しかし、1年もしないうちに、デザイナーとしての道を断念してしまう。

「まったくデザイン科に合わなかったんです。私が不器用だったんですよね。昔はロットリングではなく、カラスグチという道具を使ってミリ単位で線を引いていくんですが、それが、どうしてもできなくて・・・。ポスターカラーを使っての四角いマス塗りも、どうしても刷毛の跡が残ってしまう。これはもう無理だと思いました」

「その上、私が思っている美術大学のイメージとは全然違うということに気づき、五月病になってしまったんですよ。人間関係もあったのかな…もっと大人がいて、刺激的な話ができると思っていたんですよね。でも、何故か友達ができなかったんです。だから学校のカウンセリングも受けていました。それで、なんとか2年生になれて、織科に入ったんです」

織科を専攻した理由は、一番未知の世界だったから。それに、平面的なものを、筆を使って塗ったりするという、苦手なことがないところも決め手だった。織科というのは、糸染めから始めて、織りのデザインを決める、いわゆるテキスタイルデザインだ。

「それは面白かったですね。でも、3年になって織科の教授と大喧嘩してしまって(笑)」

「織物というのは、両端で糸をクルッと返すんですけど、私はいい加減だから、どうしても端がデコボコになるんですよ。それを先生に怒られるんだけど、私は『手織りというのは、このデコボコ加減がいいから意識的にやったんです』って反論したの(笑)。そのうち、その先生とはだんだんうまくいかなくなってしまいましたね」

「織科自体は楽しかったですよ。ただ、これを職業にしていくには、世を捨てないとできない。とにかく織りあげるのに時間がかかりすぎる。非常に興味はあったんだけど、それはできなかったですね」
ラブマイナスゼロ
織科は女子生徒の割合が多かったのだが、当時、多摩美の織科に来る生徒には、いわゆるお嬢様が多く、本気で手に職をつけて自立しようと考えるような人はほとんどいなかったという。

しかし、石内さんの中にはずっと“何か表現したい”という思いがあった。そんな思いから、2年生になるとすぐに、映画研究会に所属することになる。

「そこから人生が開けたんです。昔から映画が好きで、高校時代には、月に2〜3回、バスに乗って横須賀中央まで映画を見に行っていました。見るのは洋画が多かったですね」

映画研究会に入って、8ミリ映写機を買って、初めて作った映画のタイトルは、「ラブマイナスゼロ」。ボブ・ディランの「ラブマイナスゼロ」という歌に触発されて作ったという。

「タイトルがかっこいいなぁと思って。でも、今考えると恥かしいです(笑)」

その映画で表現したかったものは何だったのか。

「女性を撮ったんですよね。若い女の子の裸。今考えると、若気のいたりですけど(笑)」

女性の裸を撮ったというところに、女性性を受け入れられないことの裏にある、女性へのこだわりがあったのではないだろうか。

「そうですね。ひとつは自分を知りたい、ということだったんだと思います。女でしかない自分を知りたい。若い時というのは、体が心からどんどん離れていって、勝手なことをしているわけですよ。だから、まずは外側から自分を知るしかないと思いました」

映画研究会に入ることで、やっと刺激し合える友達に出会うことができた。映画研究会の隣には演劇研究会があり、その二つのクラブの人たちに出会ってから、本当の青春が始まった、と石内さんはいう。

「変な連中でね、“戦う美術家”という感じですね。やっぱり“どうやって生きるか”といったことを討論していることが楽しかったですよ。いわゆる“遊ぶ”ということは、しなかったですね。お酒を飲みながら、“表現とは何か”“アートとは何か”といった話をしている方が、ずっと楽しかったですから」

「私にとっては、自分の中で考えていたことや、表現について悩んでいたことを、ひとつひとつ言葉にしていける場でしたね。自分の中にあるものを、どう表現したらいいか分らなかったから。非常に観念的なことを、日々語っていました」

次回(9/12配信)もお楽しみに。

写真


柳谷杞一郎のデジタル写真をめぐる冒険
こんにちは、柳谷杞一郎です。
今回はRAWデータの現像の話から入りたいと思います。
■ Profile ■
柳谷杞一郎(やなぎたにきいちろう)
写真の学校/東京写真学園校長。
広告・出版物の制作ディレクターを経て、88年エスクァイア日本版の月刊化に際し、編集者として参加。90年副編集長。91年にカメラマンに転身。“大人の感性”と“少年の温もり”の混在する写真家として注目を集める。写真集に『Rapa Nui』『X』、著書に写真でわかる<謎への旅>シリーズの『イースター島』『マチュピチュ』などがある










花写真〜上手になるための18のルール〜 写真を上手に撮るために心掛けるべきことは、たった18のルール。まだカメラを持っていない人から中級者まで、読んで楽しい一眼レフカメラ入門の書。柳谷杞一郎氏が執筆・編集に関わっています
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RAWデータは、カメラ内部の撮像素子から得られたデジタルデータですから、デジタルカメラに搭載されている撮影素子の特徴や回路によってメーカーそれぞれ違う各社専用フォーマットとなります。

つまり、RAWデータの状態のままでは、一般的に市販されているグラフィックソフトで画像を見ることができません。

RAWデータを見る、もっとも簡単な方法は、カメラメーカーが製品に同梱していたり、ウェブ上で提供している専用の現像ソフトウェアを使うことです。

現像ソフトウェアを使うことで(もちろん各メーカーの提供するソフトウェアによって機能は異なります)、露出補正、ホワイトバランス、コントラスト、シャープネス、色の濃さ、色合い、色空間などを調整することができます。

「現像パラメーターの設定」というのは、この現像時点で行うさまざまな処理を撮影時点で実行されるように指示するというものです。ちなみにCanon EOS-1Ds Mark llの「現像パラメーター」では、トーンカーブ、コントラスト、シャープネスが設定できることになっています。もちろん露出補正、ホワイトバランス、色の濃さ、色合い、色空間なども撮影前に設定することができますが「現像パラメーター」の項目には入っていないというだけのことです。

次回は、この「現像パラメーターの設定」の具体的方法に話を進めます。
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編 集 後 記
学生時代とういのは、哲学的なことばかりを考えていて、本を読んだり、友達と真剣に話し合っていたなぁと、思い出しました。“思春期”なんですよね〜。先日、今20歳の知人が、「自分はもう何でも分っている。他の人からどうこう言ってもうらう必要はない。僕は自由なんだ」というようなことを言っていました。彼は感受性が強く、とてもやさしくていい子です。まだまだ自分が知らないことはたくさんあるんだ、ということに気づいたとき、自分の世界というのはもっともっと大きく広がっていくんですよね。私も、新しい世界に対して貪欲になることを忘れていたなぁ、と気づかされました。(Hanaoka Mariko)
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