Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2005.06.13
vol. 48
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
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「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのイタガキです。
今週は写真家・細江英公さんのインタビュー2週目です。戦争という傷跡が深く刻まれた時代。細江さんがカメラに興味を持ったのは偶然?それとも必然?。今週もどうぞお楽しみに!!
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私が写真を撮るワケ
自らの手で道を切り開く写真表現者。写真家・細江英公さんインタビューVol.2
戦争という惨禍を経験した日本、人々の心の中に深く大きくできた傷跡…。少年時代に、細江さんが目指していたものは、写真家ではなく、日本復興のために自分も働きたいと力強く願うことでした。今週は、そんな細江少年の眼がカメラに向きはじめた頃のお話をお届けします。
■ Profile ■
細江英公(ほそええいこう)
1933年山形県米沢市生まれ。東京育ち。1954年東京写真短期大学(現東京工芸大学)技術科在学中に『写真サロン』にて出品作が特選。これがきっかけとなり写真評論家・福島辰夫と出会い、若手美術家たちとの交流を重ねる。卒業後はフリーの写真家となり、若手写真家たちと写真セルフ・エージェンシー「VIVO」を設立。広告、雑誌などを手掛ける。VIVO解散後も『薔薇刑』『鎌鼬』など衝撃的な名作を発表し続け、紫綬褒章はじめ数々の賞を受賞。斬新な写真表現を常に生み出し続け、名実ともに日本を代表とする写真家へ。2003年には英国王立写真協会創立150年記念特別勲章も受賞するなど海外でも活躍、高い評価を得ている。
『薔薇刑』
被写体はあの三島由紀夫。衝撃的な話題作で、芸術的にも優れた最高傑作。吸い込まれるような被写体の眼力と耽美でバロック的な空間の構築が絡み合った作品。写真表現の奥深くへひきづりこまれる。作品制作には、森山大道が助手をつとめる。





























『鎌鼬』
舞踏家・土方巽との濃密なコラボレートでできあがった不朽の名作。土方氏の肉体・魂、細江氏の写真が共振して生み出された、幻想的な世界が広がる。2005年4月、限定500部で青幻舎より復刻。





























『ガウディの宇宙』
アントニオ・ガウディの建築を『魂を持つ巨大な肉体』として独特な表現でとらえた写真集。



印画紙に浮き上がる画像にワクワク
神社の管理人をしていた父親の趣味は写真。いわゆるアマチュアカメラマンだっだ。

「お宮というのは、戦時中は出征兵士を送り出したりして、日本人の精神的なものの基本になっていたと思います。ところが、戦争が終わると、今度はお宮は戦争協力者だと言われ、経営が不可能になってしまったんです。でも生活しなければいけない。…そんな時に父の写真が役にたったんです」


戦時中に軍需品を作っていた工場というのは、戦後いち早く民生品、民間の平和産業の工場に切り替えて売り出していったようだ。中でも経済活動がシフトしてきた時に作られたカメラというのは、意外に需要があり、比較的復活が早かったのではないか、と細江さんは言う。

進駐軍が日本製のカメラやフィルムを買い、次第に日本人の間でも娯楽として写真が普及していった。

「中学生のころ、父が四畳半の狭い部屋を暗室にしてプリントしているのをよく見ていましたよ。暗い部屋で、印画紙に画像が浮かび上がってくるのが不思議でね。本当にワクワクしました。ネガになる部分に印画紙を置いて日光にあてると、ベタ焼きのように画像が浮き出てくるんです。そういうものが僕の好奇心をどんどん駆り立ててくれました」

「家にはカメラが2台あったので、僕はそのうちの1台を持って写真を撮っていましたね」フィルムは、戦時中の残りを切って、巻紙に包んであるものを買ったこともあります。当時僕の使っていたのは、二眼レフのカメラ。35ミリのペンタプリズム式一眼レフカメラは1950年代の終わりに出てきた、大発明品ですから、手に入れるのはまだ先のことです。
高校生で乗り切った危機一髪の一枚
中学から写真の仕事を手伝い、父親が病気になった時は、代わりに写真を撮るため、依頼を受けた学校の遠足に一人で同行したこともあった。経験が浅い中での大事な学校写真の撮影であったが、ヒヤッとするようなハプニングにも冷静に対応したという。

「ある学校の高校3年生の修学旅行について行ったんです。僕も同じ高校生の時でした。はじめは、順調でしたが、集合写真を撮る時になって、急にシャッターが壊れちゃったんですよ。一時は、どうじようかと思ったんだけど、そこで父親がやっていたことをふっと思い出して…」

「当時はキャビネ版の暗箱カメラを使っていました。その故障は、レンズの前にあるソルントンシャッターという幕が壊れてしまったんですね。でも、レンズには蓋がついているのを思い出して…。絞りをf32くらいにして、『は〜い、撮りますよ〜』という掛け声でみんながこっちを見た瞬間に、蓋を一瞬はずしてすぐに付けて!!出てきた写真を見た時は、ほっと安心しました。もちろん全て成功です(笑)」

「その頃は、カメラ店がやっている写真クラブにもちょくちょく顔を出していました。フィルムを写真屋さんに出したときにも、『君なかなかいいね。芸術写真だよ〜』なんて言われて調子に乗っちゃってね(笑)。周りは大人ばかりですから、高校生の僕はすごくかわいがってもらえて、色んなことを教わりましたね」

「一番印象に残っているのは、その街で一番腕のいいハンコ屋さんにスポッティングのやり方を習った時のことです。そのハンコ屋さんが『細江君、スポッティングというのは、粒子のひとつひとつをつくるんだよ。写真は粒子でできているんだから』と教えてくれたこと、今でも忘れず残っています」

「その時の写真クラブの先生は、オリエンタル写真学校の講師もされていた田村栄先生。日本の写真史において、モダニストであり、理論家であった方です。毎月写真クラブに来て、いろいろな写真集なども見せていただきましたね」
はじめてのアメリカ体験
高校2年生になったころ、細江さんは練馬区の米軍キャンプ「グラントハイツ」に出入りするようになる。

「本当は日本人は入れない領域なんだけど、中学の同級生の兄貴が勤めていたこともあって、入れてもらっていました。子供の特権かもしれませんね(笑)。キャンプの中に一歩入ると、そこはもうアメリカそのもの。僕は英語の教科書をポケットに入れて、出会った人をつかまえては読んでもらい、教えてもらっていました。いろいろな影響を受けましたね」

キャンプに通った目的は3つ。1つはタダでアメリカを見るため。2つ目は英語の勉強のため。そして3つ目は写真を撮るためだった。

「公園で遊んでいる子供たちの写真を撮って、次に行った時には、それをプリントしてプレゼントするんです。そうすると家に招待してくれて、お母さんがおやつを出してくれるんですよ(笑)。コカ・コーラが出てきたときは、びっくり。見たのも聞いたのも初めてだったから」

アメリカという扉の向こうへ、いち早く潜りこんだ細江さん。高校生という多感な時期に見た未知の世界は、海外へ出たいという思いを誘わなかったのか?

「あの頃は海外へ行くなんて頭になかったね。当時の日本人は海外なんて簡単に行けなかったから。ただ、漠然と南米へ行ってみたいなぁとは思っていました」

何故また南米に?

「南米は広いからかな(笑)。スペイン語を勉強して外交官にでもなれたらいいなぁと思っていたんです。今考えると外交官にはならなくてよかった。僕みたいに写真ばっかり撮ってたら『あそこの参事官はダメだ』なんて言われそうですからね(笑)。でもすべて漠然とした夢…、日本はまだ占領されていて、将来どうなるかすら分らなかった時代でしたから…ね」
「ポーディちゃん」から狂いっぱなしの60年
1951年、高等学校3年生のとき、グラントハイツで出会った「ポーディちゃん」の写真が第一回富士フォトコンテスト学生の部において最高賞を受賞し、賞金¥55‚000を手にした。当時はサラリーマンの初任給が¥10‚000前後という時代。¥55‚000という金額は、高校生の細江さんにとっては大金だった。

「賞金を使ってカメラは買いましたけど、あとはお袋に預けました。僕にはそんなお金使えませんからね(笑)。富士フィルムからはたくさんのフィルムをもらいました。でも『ポーディちゃん』で賞をとってから、全てが狂ってしまいました。『写真でも、お金が稼げる、仕事にしていける』なんて思って、狂いっぱなしの60年です(笑)」

高校2年生になると、皆大学受験に向けての勉強に取りかかる。「ポーディちゃん」の受賞までは、細江さんも他の生徒同様に受験勉強を進めていた。

「写真に夢中になる前は、東京外語大学でスペイン語、早稲田や東大の法学部でもいいかなと思っていましたね。でも写真の方が面白くなってしまって、ちゃんと写真の勉強をしたくなったんです」

「田村先生や写真クラブの先生に、東京写真短期大学(現東京工芸大学)を薦められてね。ちょうど写大(現、東京工芸大学)が専門学校から短期大学になったころで、2年間で写真の全てが勉強できるようになっていたので、迷いもなく決めました。僕は少しでも早く世の中にでたいなと思っていましたから」

次号(6/20配信)もお楽しみに!!

写真


柳谷杞一郎のデジタル写真をめぐる冒険
こんにちは。柳谷杞一郎です。

さて、3回にわたってデジタル写真表現の第5の特徴「コピー、通信、蓄積が容易」について話をしてきましたが、今回は第6の特徴「ISO感度の変更、自由自在」、第7の特徴「1メディアで多枚数の撮影が可能」につづく第8の特徴「ホワイトバランスの選定が可能」に話をすすめたいと思います。
■ Profile ■
柳谷杞一郎(やなぎたにきいちろう)
写真の学校/東京写真学園校長。
広告・出版物の制作ディレクターを経て、88年エスクァイア日本版の月刊化に際し、編集者として参加。90年副編集長。91年にカメラマンに転身。“大人の感性”と“少年の温もり”の混在する写真家として注目を集める。写真集に『Rapa Nui』『X』、著書に「写真でわかる<謎への旅>」シリーズの『イースター島』『マチュピチュ』などがある
だんだんと話がややこしくなってきました。だいたい、デジタル写真表現の特徴と大上段にかまえていますが、「ISO感度の変更、自由自在」や今回とりあげる「ホワイトバランスの選定が可能」などは、そもそもそんなことができないデジタルカメラもいっぱいあるのです。

つまり一般的なデジタル写真の“特徴”とするのに異論がある方もいらっしゃると思います。でも、まぁ、あまり堅いことは言わないでください。

写真表現を仕事にする者のひとりとして1枚ごとに「ISO感度を変えられる」「ホワイトバランスを変えられる」というのは、大きなメリットなのです。一般的(つまりすべてのデジタルカメラにあてはまる特徴)ではないかもしれませんが、とりあげないわけにはいきません。

何しろ、ダイヤルひとつ、ボタンひとつでホワイトバランスをかえられるというのは、ワンタッチでフィルター交換ができるということとイコールなのです。LBAフィルター、LBBフィルター、螢光灯フィルター、その他いろいろなフィルターがワンタッチでつけかえられるというのは、かなり便利な機能です。

「ホワイトバランス」、「フィルターワーク」というのは写真表現の中でも中級者以上の人向けの話なのかもしれません。入門者、初心者の人のために少し、詳しく説明していきましょう。次回はそもそも「ホワイトバランスって何?」ということから考えてみたいと思います。
「写真の学校」の教科書
おかげ様でいよいよ5刷に突入!!2万部超のベストセラーになりました。ありがとうございます。

はじめて一眼レフを手にする初心者からプロカメラマンを目指す上級者まで、写真が大好きな人が通っている写真の学校がつくった「写真の教科書」。柳谷杞一郎氏が執筆・編集しています
雷鳥社(2004/08)/1‚575円(税込み)

花写真〜上手になるための18のルール〜
写真を上手に撮るために心掛けるべきことは、たった18のルール。まだカメラを持っていない人から中級者まで、読んで楽しい一眼レフカメラ入門の書。柳谷杞一郎氏が執筆・編集に関わっています
雷鳥社(2002/03)/1‚155円(税込み)

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編集の学校/文章の学校
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編 集 後 記
ここ最近、インド映画のスターにはまっています。インドへ行く前までは、「インドスター(男性)って何がいいのか分らないよね〜」なんて言っていたのに…。最近は毎日のようにDVDを見て、通勤電車の中でも映画のサントラを聞いています。(まわりにもれたら恥かしいので、小さな音で…)自分でもこの変わりようにビックリ!いや〜人生、いつ、どんなことで、どんな風に変わるか、分らないものですね〜。ちなみに、私がはまっているシャル・カーンは「踊るマハラジャ」に出てくるような、髭の生えた小太りのおじさんではないですよ!(Hanaoka Mariko)
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