Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2005.06.06
vol. 47
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
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みなさん今日も元気にお過ごしですか? 
写真を撮ること、観ることが好きな人に、お届けしている雷鳥社メールマガジン
「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのイタガキです。
今週からはいよいよ写真家・細江英公さんの登場です。日本の写真文化を創ってこられた偉大な写真家・細江さんの、写真を撮るきっかけとは? 写真にはまっていった理由とは? 貴重なメッセージ、たくさんお届けいたします。
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私が写真を撮るワケ
自らの手で道を切り開く写真表現者。写真家・細江英公さんインタビューVol.1
独自の美を追い求め、写真表現者として、数々の名作を残し続ける写真家・細江英公さんが、いよいよこのメルマガに登場です。日本を代表する写真家・細江さんが写真を志したきかっけとは? 写真で表現することとは? 全4回で深く迫っていきます。第1回目は、幼少時代のお話を中心にお伺いしました。みなさん、お楽しみに!!
■ Profile ■
細江英公(ほそええいこう)
1933年山形県米沢市生まれ。東京育ち。1954年東京写真短期大学(現東京工芸大学)技術科在学中に『写真サロン』にて出品作が特選。これがきっかけとなり写真評論家・福島辰夫と出会い、若手美術家たちとの交流を重ねる。卒業後はフリーの写真家となり、若手写真家たちと写真セルフ・エージェンシー「VIVO」を設立。広告、雑誌などを手掛ける。VIVO解散後も『薔薇刑』『鎌鼬』など衝撃的な名作を発表し続け、紫綬褒章はじめ数々の賞を受賞。斬新な写真表現を常に生み出し続け、名実ともに日本を代表とする写真家へ。2003年には英国王立写真協会創立150年記念特別勲章も受賞するなど海外でも活躍、高い評価を得ている。
『薔薇刑』
被写体はあの三島由紀夫。衝撃的な話題作で、芸術的にも優れた最高傑作。吸い込まれるような被写体の眼力と耽美でバロック的な空間の構築が絡み合った作品。写真表現の奥深くへひきづりこまれる。作品制作には、森山大道が助手をつとめる。




















『鎌鼬』
舞踏家・土方巽との濃密なコラボレートでできあがった不朽の名作。土方氏の肉体・魂、細江氏の写真が共振して生み出された、幻想的な世界が広がる。2005年4月、限定500部で青幻舎より復刻。




















『ガウディの宇宙』
アントニオ・ガウディの建築を『魂を持つ巨大な肉体』として独特な表現でとらえた写真集。



個人的体験と社会的背景の間に表現者がいる
1933年山形県米沢市生まれ。

お産のために母親が山形へ帰省し、そこで生まれたのが細江敏廣(後の英公)さんだった。

「産後の母親の体を癒すという目的もあって、3ヶ月程山形で静養していました。当時はそういうことが一般的だったようです。だから生まれは米沢ですが、僕が育ったのは東京なんですよ」

幼少時代を東京で過ごし、戦時中は再び米沢の田舎に疎開。小学6年生から中学1年生までの1年間を米沢で過ごした。

「広島に原爆が落とされたでしょ。それは子供ながらに僕の心の中に深い傷を残し、沈殿しています。そして、後の僕の作品の中に色々な形で登場してきていますね」

1945年8月6日、広島に原爆という名の新型爆弾が投下された。B29一台が落としたたった一発の爆弾が、何万人という人間を一瞬にして殺し、黒焦げにしてしまった。遠く離れた土地で過ごしていた子供にとっても、その恐怖は図りしれないものだっただろう。「直接の原爆体験ではなくても、非常に強い間接的な原爆体験になっている」と細江さんは言う。2回目に投下された長崎原爆の際は、国民の動揺を避けるため、新聞等のメディア掲載は小さいものだったというが、それだけ原爆が人々の心に与える影響が大きかったことを物語っている。

「20世紀の終わりから21世紀になろうとした時の日本の状況というのは、とにかくあらゆる面で閉塞感が漂っていました。地球環境問題、特にダイオキシンの問題なんかは何だか訳分りませんよね。動物、昆虫のメス化もそうですが、とにかく正常ではない状態というのは、ひとつの新型爆弾の大きな爪痕だと思います」

「20世紀の大半を生きてきた人間として、20世紀というのは、人間の長い歴史の中で最も罪深い世紀になると思います。もし21世紀に核兵器が使われたら地球の破滅です。つまり生き物が人類を含めていなくなります。罪深いどころかそれこそ全ての終末ですよ。」

「原子爆弾というのは、その場の破壊力だけではすまない。放射能があらゆるものの中に浸透して、我々の子孫にまで多大な影響を及ぼす…、人間をそういった不安に陥れ、心理的にも肉体的にも苦しめるわけですよ。それを唯一体験したのは我々日本人だけですから、そのことをもっと声高に叫ぶ権利と義務があると思うんです」

「直接的には被害を受けていなくても、日本人は“原爆”というものに対して、他の国民とは違う思いを持っていると思います。表現者というのは、そういった思いがどこかにありますよね。写真家は直接そういうものを被写体としなくても、精神的な背景に嫌悪感や憎悪があると、何らかの形で出てくるんじゃないかな。結局個人的な体験と、社会的なものの接点の中に表現者というものがいるのだと思います」

「写真が他の表現と徹底的に違うのは、カメラの前に被写体がなければ写らないということです。同じ被写体を撮っていても、その被写体の先にあるものを表現しようとする作家もいれば、被写体そのものをテーマとする作家もいる。カメラはメカニズム上、写実的な表現はできる。しかしカメラの背後にいる人間というものは、内側も外側も複雑怪奇なものなんだよね。シャッターを押す行為というのは決定する意思がないとできないでしょ。だからその意味では他のメディアとは違う面白さ、可能性があると思います」
クリエイティブな兄弟
父親が東京都葛飾区にある白髭神社の管理人をしていたこともあり、境内は小中学時代の遊び場となっていた。特別に目立つ子供ではなかったが、当時を思い返すと、“いたずらっ子”だったと細江さんは言う。

「遊びといえばメンコやベイゴマ、水雷ごっこ。戦争ゲームですね。それと、僕が得意としていたのはトンボを捕ることでした(笑)」

「父親は父親としての厳しさがあったし、母親は何でも受けいれる肝っ玉母さんといった感じでしたね。両親は戦前の日本人ですから、いろいろな意味で厳しかったです。でも、写真家を目指すときも含めて、進路決定については非常に自由でした。やりたいことをやれという両親でしたね」

兄弟は9歳離れた弟が1人。工業デザイナーとして、40年近くミラノに住み、現在はミラノ工科大学の教授をしている。これまでに4回「金のコンパス賞」(イタリアの工業デザイン界の最も権威のある賞)を受賞し、国際的なデザイナーとして活躍しているという。ジャンルは違えど、同じ表現者として影響し合うところはあるようだ。

「自分の弟ながら、僕は彼をとても尊敬しています。弟も僕のことを兄としてとても慕ってくれているしね。昔から仲はよかったですね。1950年に、僕が高等学校英語弁論大会に参加した時には、弟を観客に見立ててお宮の社務所でよく弁論を聞かせていたんですよ。弟はそれが忘れられないようで、今でも酔っ払った時なんかに英語でモノマネをしますね(笑)」
戦時中に敵性外語を学ぶ
1945年3月、米沢南部国民学校を卒業した細江さんは、山形県立米沢第二工業学校に入学。土木を学ぶ。土木業というのは道路や橋を作り、国土を作り上げるもの。戦争によって荒れた日本の大地を再生するためには、当時求められていた担い手のひとつだった。若いながらに、「戦後の日本の復興に携わっていかなければ」という、強い意志を持っていたという。

戦争中は田舎の中学校からも、若い先生の多くが徴兵にとられていった。そして、入れ代わるように東京から大学教授たちが疎開してきて、教師のいなくなった中学校で教鞭をとっていた。

「英語は敵性外語ということで禁止されていたけれど、山形の田舎の方では教えていたんです。文部省の目が届かなかったんじゃないかな。『今日から諸君はジェントルマンである』なんて言われて(笑)。かなりリベラルな先生方に教えてもらいました」

戦時中の日本において、そのような授業が行われていたとは驚きだ。時代や社会の流れとは別の動きというものが、どんな時代にも、どんな所にも存在しているのだ。後に細江さんたちが結成した写真家集団「VIVO」も、それまでの写真業界における流れを大きく変えていくことになる。

次号(6/13配信)もお楽しみに!!

写真


柳谷杞一郎のデジタル写真をめぐる冒険
こんにちは。柳谷杞一郎です。
今回はデジタル写真第5の特徴「蓄積が容易」の具体例についてお話したいと思います。
■ Profile ■
柳谷杞一郎(やなぎたにきいちろう)
写真の学校/東京写真学園校長。
広告・出版物の制作ディレクターを経て、88年エスクァイア日本版の月刊化に際し、編集者として参加。90年副編集長。91年にカメラマンに転身。“大人の感性”と“少年の温もり”の混在する写真家として注目を集める。写真集に『Rapa Nui』『X』、著書に「写真でわかる<謎への旅>」シリーズの『イースター島』『マチュピチュ』などがある
一昨年から、ぼくはほとんどの写真をデジタルカメラで撮りはじめました。それ以後デジタルで撮った写真が見つからなくなったことはありません。

すべての撮影データを日付順で整理しているので、いつ撮った写真かをスケジュール帳からわりだしていけば、比較的短時間のうちに見つけだすことができます。タイトルからも検索できます。データの消失とパソコンそのものが壊れてしまうことが怖いので、ハードディスクの他、必ずCDにもバックアップをとっていますが、昔、フィルムの整理をしていた時ほど時間はかかりません。

不安なものはCDを2枚作ってしまいます。僕用のバックアップ(門外不出)とデザイナー、編集者などへの貸し出し用に使うのです。このような機能がカタログ制作にバツグンの利便性を与えることは想像に難しくないと思います。商品別のデータ、背景別のデータ、使用目的別のデータとかをいくつも簡単に作り出すことができるだけでなく、その保存のためのスペースも小さくてすむのです。

「蓄積が容易」というのは、すなわち「整理整頓が容易」ということでもあります。デジタル写真表現の第6の特徴、第7の特徴については以前にもお話したことがありますので、次回はいよいよ第8の特徴に話を進めたいと思います。
「写真の学校」の教科書
おかげ様でいよいよ5刷に突入!!2万部超のベストセラーになりました。ありがとうございます。

はじめて一眼レフを手にする初心者からプロカメラマンを目指す上級者まで、写真が大好きな人が通っている写真の学校がつくった「写真の教科書」。柳谷杞一郎氏が執筆・編集しています
雷鳥社(2004/08)/1‚575円(税込み)

花写真〜上手になるための18のルール〜
写真を上手に撮るために心掛けるべきことは、たった18のルール。まだカメラを持っていない人から中級者まで、読んで楽しい一眼レフカメラ入門の書。柳谷杞一郎氏が執筆・編集に関わっています
雷鳥社(2002/03)/1‚155円(税込み)

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プロカメラマンを目指すなら東京写真学園へ!4月期生受講申込受付中
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編 集 後 記
今日から細江さんのインタビューが始まりました。今回は全5回でお届けします。気づいたら6月です。2005年ももう半ばということですよ。先日は、12月までの仕事のスケジュールを決めている自分にびっくりしました。いや〜早いですね〜!でも、そんな逃げるように過ぎ去る日々に振り回されず、スローライフを心がけようと思っています。(Hanaoka Mariko)
問 い 合 わ せ
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