Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2005.05.16
vol. 44
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
写真に興味のある人なら誰でも楽しめるメールマガジンです。
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みなさん今日も元気にお過ごしですか? 
写真を撮ること、観ることが好きな人に、お届けしている雷鳥社メールマガジン
「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのイタガキです。
ご好評いただいているカメラマン・宅間國博さんのインタビュー、今週は第4週目です。今号は、いよいよカメラマンへの一歩を踏み出すことになった会社員時代のお話です。それでは、みなさんお楽しみに!!
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私が写真を撮るワケ
自分の撮った写真で、たくさんの人に喜びを。写真家・宅間國博さんインタビューVol.4
大学では映画研究部に入部はするものの、やはり写真を忘れられずに、もう一度写真の道へ進み始めた宅間さん。しかし、当時の彼は、自分の本当の想いや、写真表現からのラブコールにも耳をふさぎ印刷会社へ就職する。第4回目の今週は、そんな宅間さんがいよいよカメラマンになるという一大決心をすることになる。カメラマンを目指すキッカケになったことは? その一歩を踏み出させたものとは? 今将来の道に迷っている人、必見!!
■ Profile ■
宅間國博(たくまくにひろ)
香川県高松市生まれ。みずがめ座。仙台にある大学のインダストリアルデザイン科を卒業後、印刷会社の企画課へ就職。退職後上京。アルバイトをしながら、お金を貯めて作った一冊のフォトブックが、数々の編集者の目にとまり、持ち込んだすべての出版社から仕事の依頼がくる。以後様々な紆余曲折を乗り越え、雑誌、写真集、カレンダー、CDジャケット、広告など現在もなお第一線で活躍中。自身の写真集では『RIBIRTH』(リブロポート)、『Power of color[flowers]』(学習研究社)などを出版。近年発売された『カインド・オブ・ブルー』(二見書房)では、夢を追う迷える若者たちから支持されファンも多数。後進育成にも尽力を注いでおり、今後も幅広い分野での活躍が期待される。
オフィシャルサイト
カインド・オブ・ブルー
あなたは今何をしたいの? 何になりたいの。写真とともにつづられたメッセージ。一枚一枚めくるたびに、一歩踏み出す勇気を与えてくれる一冊。空のブルー、海のブルー・・、深く穏やかなブルーの世界が広がる。
2003年/二見書房






























power of color [flowers]
赤、緑、黄・・花の持つ色の強烈なシャワー。見終わった後には幸せな気持ちにさせてくれる、目にも心にも沁みわたる写真集。
1999年/学習研究社






























REBIRTH
朽ちた壁、車の錆、雨の日の道路・・に焦点をあて、クローズアップして撮られた写真集。誰の目にもとまらず、忘れさられてしまうハズのものたちが、その瞬間、色と構図だけになり、再びよみがえり呼吸しはじめる。
1991年/リブロポート

ワークショップ開講

宅間國博の
「プロカメラマンへの道、プロが教えたくないすべて」


場所:写真の学校
日時:土曜19:00〜21:00(全12回)
開校日:5月21日(土)より

スタジオマン、アシスタント経験なしでもプロカメラマンになれる!! “カメラマンになるためには”、“カメラマンとして仕事をし続けていくためには”のノウハウすべてが学べる講座。営業方法、撮影現場のこと、編集者やクライアントとの付き合い方、スタジオライティングにかかわることまで。プロになりたい方必講です!!
詳細は写真の学校/東京写真学園へTel:03-3400-4747。


問題社員が会社にもたらした奇跡
大学を卒業した宅間さんは、念願のサラリーマンになるべく、仙台の印刷会社に就職した。

やはり、昔の自分を知っている人間がいる高松そのものがトラウマになっていたのだろう。地元高松に戻ろうという気はまったくなかった。就職に際して、一度はカメラマンになることも考えた宅間さんだが…。

「話す人話す人みんなに反対されました。先輩も友達も。“好きなものを仕事にしたら、写真が嫌いになるぞ。本当に好きなものは趣味にしておくのが一番幸せなんだから”って言われましたね。それでやめたんです」

「会社では、みんなに嫌われました(笑)タイムカードは押さないし、ネクタイは締めないし。すごく古い体質の会社で、いくら残業しても残業手当がつかないんですよ。僕は企画部門だったので、夜中までは当たり前。どんなに遅くまでいても朝は8時に出社。それがどうしても解せなかったんです」

「でも、あまりにもタイムカードのことを言われるから、ある日一度に何回もタイムカードを押して、真っ黒にしたんです。そしたら“お前はもう自己申告でいいや”なんて言われましたね。ひねくれたヤツだったんです(笑)」

そんな秩序を乱すような行動をして、クビにならなかったことの方が驚きだが、どうやら面接の時に宅間さんを気に入ってくれた、社長のお陰でクビがつながっていたようだ。

しかし、入社2年目、風紀乱しのレッテルをはられた宅間さんに、起死回生のチャンスがおとずれた。誰もが嫌がるコンペを託された宅間さんの企画案が、見事にコンペで勝利したのだ。それは、山形の銀行のカレンダーで、会社設立以来、一度も勝ったことがなかった企画だったのだ。

「そのことで社長賞をもらいました。“今後は宅間を好きなようにさせろ”というお達しがきたんですよ。それから色んな企画競争に参加させてもらったのですが、それがまた立て続けに僕の企画が通ってしまって。会社としてはすごい利益ですよ。それで僕はちょっと天狗になってしまいましたね」
夢の中で天使が…
会社で業績を上げ、仕事も順調にすすみ始めたかに見えたが、宅間さんの中には「俺はこのままずっとこの会社にいるのか」という思いがよぎるようになった。再びカメラマンへの思いがよみがえり、それでも安定した仕事を手放す勇気もない。決断できないでいる思いが愚痴に変わり、落ち込む日々が続いていた。

「そんなある日、余命半年と宣告される夢を見たんです。その時はじめて、カメラマンにならなかったことを後悔している自分に気づいた。そうしたら、自分は天使だというおじさんが出てきて、『もう一度人生をやり直せるとしたら、やり直したい?』って聞いてきたんです。もちろんやり直したいと思った僕は、その日までの記憶がなくなるをことを引き換えに、もう一度新しい人生をもらったんです」

「それまで何度も書いては破いていた辞表を、翌日すぐに出してきました。ずっと悩んでいたから、夢の中でもう一人の自分が説得したんだと思いますよ。やらずに悔やむなら、やって悔やんだ方がいい。失敗したらまた何かみつければいいんだって、吹っ切れましたね」

「辞表を見た上司は、『ああ、そうか〜』って、全然引き止める様子もなくて、ちょっと悲しかったです(笑)。でもそれが逆に良かったね。スッキリして」

25歳の専門学校一年生
仕事を辞めた宅間さんは、上京して現在の東京ビジュアルアーツの前身となる東京写真専門学校に入学。2年間の会社員生活で貯めたお金を授業料にあてた。幸いお酒も飲まず、遊びに行くこともなかったため、初期費用にあてるだけの貯えはあったようだ。また、キャノンF1をローンで購入し、24ミリのレンズも買い足した。

「専門学校は楽しかったですよ。僕は25歳で、まわりは18、19歳の若い子たちだったけど、若い子と一緒になって学ぶことで、何か青春が戻ってきたような感じでした」

しかし、最初の貯えはすぐに底をつき、土日はもちろん、平日の夜もアルバイトをするようになる。そのため、授業は自然と興味のあるものしか出席しない。撮影課題が出る授業は出ていたが、写真史や心理学、色彩学の授業など、座学はほとんど欠席していたようだ。

インドで見た天国と地獄
専門学校一年生の夏休み、宅間さんは初の海外、インドへ旅立った。

「横尾忠則さんが三島由紀夫さんから“インドという国は、一生のうちに行けるヤツと行けないヤツがいるんだ”と言われて、横尾さんはそれを聞いてインドへ行った、と友達に聞いたんです。そして“インドでは、地獄を見るヤツと天国を見るヤツがいるんだ”っていう話を聞いた時に、僕はどっちを見るんだろうって思ったんです」

「結局僕は両方見ましたね。最初の二週間は地獄を見た。後半二週間は天国でした」

最初に見た地獄というのは?

「どこに行っても、目をギラギラさせた物乞いの子供たちが近づいてくるんですよ。初日は怖くてホテルから外に出られなかったですよ。それと暑さも厳しかったし。当時はインターネットもなく、情報が豊富でなかったから、タージマハールなんかのきれいなイメージしか持っていなかったんです。ヒンドゥ教徒の沐浴で有名な聖なるガンジス河なんて、怖くて“なんで俺こんなところに来たんだろう”って本当に後悔しましたよ」
(c)Kunihiro Takuma
(c)Kunihiro Takuma
しかし、前半のハードな写真に比べて、後半の写真には“明るく楽しいインド”が写っていた。

「僕のインドの写真は明るい写真が多いよ。これが僕の見た天国です。一日がの〜んびりしているんですよ。本当に幸せでしたね。みんな笑顔で心が豊かな感じ。このころの僕の写真は目線が下なんですよね。地に体をつけるように撮っていた。素直だったんでしょうね。」
(c)Kunihiro Takuma
(c)Kunihiro Takuma
天国も地獄も見たインドから帰ってきた宅間さんは、生きていくことが怖くなくなったという。

「社会人を辞めるときは、給料がもらえなくなって、生きていけなくなったらどうしようって思っていたけど、インドに行ってからは、何をやっても生きていけるんだって思いましたね。だって、みんな裸で住んでいるんだもん。それを見たときに、俺は今まで何を怖がっていたんだろうって思いました。インドへ行ったお陰で人生観が変わりましたね」

ちなみに、インドへ行く費用はご両親から借りた…というよりも、もらったと言った方がいいかもしれない。「親は返してくれって言わないからね(笑)」。


それでは次号(5/23配信)もお楽しみに!!

写真


柳谷杞一郎のデジタル写真をめぐる冒険
こんにちは。柳谷杞一郎です。
デジタル写真表現の第5の特徴として「コピー、通信、蓄積が容易」をあげました。今回は、「通信が容易」について考えてみます。
■ Profile ■
柳谷杞一郎(やなぎたにきいちろう)
写真の学校/東京写真学園校長。
広告・出版物の制作ディレクターを経て、88年エスクァイア日本版の月刊化に際し、編集者として参加。90年副編集長。91年にカメラマンに転身。“大人の感性”と“少年の温もり”の混在する写真家として注目を集める。写真集に『Rapa Nui』『X』、著書に「写真でわかる<謎への旅>」シリーズの『イースター島』『マチュピチュ』などがある
海外の大きなスポーツイベント、例えばオリンピックなどを撮影する場合。昔なら撮影したフィルム(あるいは現像後プリントしたもの)を直接日本に送らねばなりませんでした。それが今では、通信手段の高度化によって、デジタル信号にして送信することが可能です。

ご存知のとおり、デジタルカメラをもっとも早く導入したのは、スポーツカメラマンの人たちでした。スポーツ写真の世界では、レベルの高い写真を撮影することに加えて、その情報を可能な限りはやく伝えることが重要だからです。

モノクロフィルムで撮影して、現像プリントをしてから送信する。カラーポジフィルムで撮影し、現像後、スキャニングしてから送信する。いずれも、デジタルカメラで撮影したデータをパソコンにとり込んでそのまま送信する、という作業と比べると、何時間か余計な時間が必要になります。

スポーツ写真の世界を含めた報道写真の世界では、この何時間かが致命傷になる可能性が高いのです。デジタル一眼レフカメラが出はじめの頃は不安だった、「高感度撮影での画質」「連続撮影における連写速度」「シャッターのタイムラグ」などの問題は、もうほとんど気になりません。今現在は、銀塩フィルムのカメラでスポーツ写真を撮っているプロカメラマンは極めて珍しい存在だと言えるでしょう。

オリンピック競技の行われる会場の報道席には、ズラリとプロカメラマンが陣取ります。そして、そこには、プロカメラマン仕様の高級機種であるカメラが三脚にとりつけられて林立します。テレビカメラは、何度も何度もこのカメラマンに席をとられます。

カメラメーカーにとって、ここにどれだけ自社のカメラを並べられるか、ビジネス上、重要なポイントです。アテネオリンピックに向けて、世界のカメラメーカーが自らの威信をかけてしのぎを削ったことは言うまでもありません。その膨大な開発費用は、一般市場向けの一眼レフデジタルカメラの進歩にも大きな影響を与えてくれたはずです。

余談ですが、アテネオリンピックのカメラマン席は、白い望遠レンズがつけられたカメラが圧倒的に多かったようです。白い望遠レンズは「キャノン」の象徴。あれをみて某カメラメーカーの社員の方は、「あーあ、今年もキャノン社員のボーナスはスゴイんだろうなぁ」と思ったとか。

確かに、現時点ではスポーツ写真の世界では、キャノンが一歩リードしているのかもしれません。でも、デジタル一眼レフカメラの開発競争はこれからが本番。次回北京オリンピックのカメラマン席では、何が起こるのか楽しみにしていたいと思います。

「写真の学校」の教科書
大好況につき、発売5ヶ月で4刷出来!!

はじめて一眼レフを手にする初心者からプロカメラマンを目指す上級者まで、写真が大好きな人が通っている写真の学校がつくった「写真の教科書」。柳谷杞一郎氏が執筆・編集しています
雷鳥社(2004/08)/1‚575円(税込み)





花写真〜上手になるための18のルール〜
写真を上手に撮るために心掛けるべきことは、たった18のルール。まだカメラを持っていない人から中級者まで、読んで楽しい一眼レフカメラ入門の書。柳谷杞一郎氏が執筆・編集に関わっています
雷鳥社(2002/03)/1‚155円(税込み)

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編 集 後 記
もし今私の前に天使が現れて、人生をリセットさせてくれると言ったらどうするだろう…?と考えてみた。あの時こうしていれば…と思うことはもちろんいくつかあるけど、でも考え出したらきりがないので、今のところ私は「結構です!」と断るだろう。でも、人生のリセットはしなくていいんだけど、今はちょっと天使の力をかして欲しいかなぁ。歳をとるとね〜なんだか保守的になってくるんですよね〜。なんとか打開せねば!!と意気込む今日この頃です。(Hanaoka Mariko)
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