Photo 365 MAGAZINE & DIGITAL PHOTO LABOS
2005.02.21
vol. 33
写真を仕事にしたい人、写真家になりたい人はもちろん、
写真に興味のある人なら誰でも楽しめるメールマガジンです。
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風邪が流行っておりますが、みなさん元気にお過ごしですか? 
写真を撮ること、観ることが好きな人に、お届けしている雷鳥社メールマガジン「Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO」エディターのイタガキです。
今週は、さまざまなミュージシャンの素顔を撮り続けているハービー・山口さんがいよいよ登場です!! 6週にわたって、たっぷりお届けいたします。今回のインタビューは求龍堂の清水さんのご協力により実現できたインタビューです。この場をかりてですが、ご協力本当にありがとうございました。それでは、第1回目の今週は幼少時代の頃のお話です。みなさんお楽しみに!
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私が写真を撮るワケ
瞳の奥の優しさ、輝きを表現しつづける。写真家 ハービー・山口さんインタビューVol.1
海外、日本を問わず数々のロックアーティストから支持され、ロックフォトグラファーとして活躍するハービー・山口さん。自身の写真は、モノクロームの穏やかな写真が魅力で、アーティストだけでなく巷の人や風景などの作品も多く、最近は『PEACE』など若者を撮った写真集なども出版。写真展なども意欲的に開催している。そんな次回作が待たれるハービーさんがいよいよこの「私が写真を撮る理由」に登場。今週から6回にわたって、ロングインタビューをお届けする。“ハービーさんにとっての写真” “写真を撮り続けていくこと”など、様々な角度から迫っていく。第1回目の今週は、ハービーさんの幼少時代、学生時代の話を語っていただく。
■ Profile ■
ハービー・山口(ハービーやまぐち)
1950年東京生まれ。大学の経済学部を卒業後、1973年渡英。約10年間を過ごす。ロンドンでは、ツトム・ヤマシタミュージカル劇団「レッド・ブッダ」で役者なども経験。折しも、イギリスはパンクムーブメントの真っ只中。実体験し、70年代の生きたロンドンの姿を写真に記録する。まだ無名ボーイジョージとの共同生活など、ロンドンのミュージシャンたちとの交流も重ね、特にロックミュージシャンの撮影では、信頼と高い評価を受ける。帰国後もヨーロッパと日本を行き来しながら、アーティストから巷の人びとまでを写真に収めている。福山雅治、山崎まさよしなどミュージシャンとの親交も深く、コラボレーション写真集やCDジャケットなども数多く手掛ける。一瞬の輝きをとらえた、気取りのない優しいモノクローム作品のファンは多く、写真集や写真展を多数開催。他にもエッセイ執筆、TVの音楽番組のナビゲーター、ラジオの DJ など幅広いジャンルで活躍中。
オフィシャルサイト
代官山17番地
今はなき同潤会代官山アパート。自然の地形とマッチした趣ある建物、そこで暮らす人、そしてその魅力に集った人々。懐かしさと、古きよき時代の美しい光景が響いてくる写真集。1998年/アップリンク

























LONDON chasing the dream
イギリス・ロンドンでの写真集。パンク全盛期の頃のミュージシャンやアーティスト、日常生活のスナップがつづられている。 2003年/カラーフィールド
























peace
若者の笑顔、素顔、一瞬の輝きが写し出されている写真集。ページをめくるごとに心が温かくなってくる、そんなPEACEな気分になれる一冊。 2003年/アップリンク



生後3ヶ月で背負った運命
1950年、東京都大田区生まれ。
戦争で多くの家が財産を失ってしまった中、山口家の生活は比較的安定していた。
山口家の次男として生まれたハービーさんは、その恵まれた環境の中で、小学校から大学までの教育を受けて就職するという、ごく普通の幸せな人生が約束されているはずだった。
しかし、生まれてまもなく腰椎カリエスという結核性腰椎炎にかかったハービーさんは、その後高校生になるまで、コルセットを腰に付けての生活を余儀なくされた。

「腰椎カリエスが完治する14〜15歳くらいまでは、周りの友達から無視され続けて、いつでも孤独感と絶望感でいっぱいでしたよ。腰は常に痛いし、走ることもできない。ランドセルも背負えない。ハンディキャップの辛さを毎日感じていました」

「小学生の時の写真をみるとね、非常に不安げな顔をしているんですよ。だからこの前、小学校の卒業アルバムを思わず捨てちゃいましてね(笑)。自分で見ているのが耐えられなくて。まあ、それを受け止めるという方法もあるんですけどね…」
“ハービー・山口”誕生の由来
周りの子と同じように普通の生活ができない。そんな孤独と絶望を抱えた少年に希望を与えてくれたのが、大森駅で目にした吹奏楽団の演奏だった。

「小学校5年生の時に、どこかの吹奏楽部が演奏しているのを見てね。『わぁ〜これは元気になる〜楽しい〜』って思ったの。すごく凛々しくて、力強い行進曲だったんですよ。それで、僕も中学になったら絶対にブラスバンド部に入るぞ!って思いました」

中学校に入学すると、すぐにブラスバンド部に入部。自分にもできること、新しい人生の希望を見つけたハービー少年は、ミュージシャンになるという強い意志で練習に励んでいった。

「一回だけマーチに出たことがあるんです。それまでは絶対に人前では何も出来ないような消極的な人間だったのに…。そんな僕が人の前で演奏するなんて、それは夢の中の出来事ですよね」

その時のハービーさんにとってのヒーローが、ハービーマン(Herbie Mann)というジャズミュージシャンだった。後の“ハービー・山口”誕生の由来はそこにあったのだ。

「誰かが冗談で僕のことを『ハービー』って呼んだの。高校生になり、腰のコルセットもはずれて体も健康になってきたころだったかな。もし僕に健康という新しい未来があるのであれば前とは違う自分、『ハービー』という名前で生きてみたいって思ったんです。生まれて3ヶ月からずっと病気が当たり前、友達がいないのが当たり前だったでしょ。ようやく僕の中に普通に生きる可能性を見たときに、その名前で生きてみたいって思ったんです」


「ブラスバンドに目覚めるまでは、いつも独りでポツンとしていて、何も楽しくなかったですよ。小学校の修学旅行で泊まる部屋や電車の席を決める時なんかは、先生が『好きな人同士一緒になって決めなさい』って言ったのに、僕を入れてくれるグループなんてないんです。一番仲がいいだろうと思っていた友達のところに、藁をもつかむ想いで行ったら、教室中に響き渡るような声で『お前なんか嫌だよ。来るなよ〜』って言われたんですよ。本当に辛かった。先生の笑顔すら見たこともなかったですし、学校にいること自体が地獄でしたね」

「でも、そこでぐれないのが僕のいいところ(笑)。ひねくれなかったですよ。ブラスバンド部に入ったのも『音楽で人の心を豊かにしたい。いじめたりするような心の狭い人がいなくなるような世界を作りたい』という思いからでした」

腰椎カリエスによって背負ったハンディキャップは、ハービーさんの心に暗い傷跡を残してしまったが、それ以上に、人を思いやる心と豊かな感受性を与えてくれたようだ。

しかし、ブラスバンド部に入って半年後、体が弱かったハービーさんは度々繰り返す貧血によって、練習についていけなくなり、とうとう部活動を続けていくことを断念せざるをえなかった。

「『音楽で平和を!ミュージシャンになろう!』というそれまでの夢が全部なくなってしまってね。また孤独と絶望の日に戻ってしまった。それから引きこもりの日々が続いたんです。3〜4ヶ月は外に出られなかった」
部長としてのプレッシャーを乗りこえて
一瞬つかみかけた希望から再び絶望の底に突き落とされたハービーさん。そのどん底から立ち直るきっかけとなったのが写真部への入部だった。

「たまたま友達に誘われて入っただけなんだよ。でも写真を始めて『写真というのは自分のペースでできるから、僕に向いているかもしれない』って思いましたね。それに写真でも『人の心を豊かにできるもの』をテーマにすれば、音楽と同じものが表現できるかもしれないって気付いたんだよね」

ハービーさんの原動力はいつも、「人の心を豊かにしたい。幸せにしたい」という思いだった。ハンディキャップを背負っていたことだけでなく、人の優しさや愛情を受けることが少なかった、辛く苦しい幼少時代だったからこそ気付いたこと。優しさや愛情を人にそそいであげたいという温かい思いが、ハービーさん自身を支えていたのだ。

高校に入学し、写真部2年目の春には部長に就任する。

「部長になってからの1年は、本当にプレッシャーでした。それまで僕が責任者になって人を引っ張っていくなんてあり得なかったですから、男子校の写真部の部長というのは非常に荷が重かったですよ。僕の場合、何かがうまくいかないとすぐに自分のせいにしてしまうんですよね。もっと遊び心があればよかったんでしょうけど」

部長になってからの1年間は、責任とプレッシャーに気がとられ、勉強が全く手につかなくなった。その結果、入学時は上位だった成績も、2年生が終わるころにはクラスで50人中50番になっていたという。

「でも部長としての1年が過ぎたときには、もはや教室の隅っこに独りでいる自分ではなくて、少しは人をリードできる強い人間になっていたような気がします。勉強ではクラスでペケになったけど、自分にとっては意味のある1年でしたよ」

写真でも人の心を豊かにすることができると思った時には既に、写真家になると決めていたという。そしてテーマは変わらず「人の心を豊かにするもの」で一貫していた。しかし、具体的に何を撮ればいいのか、どんな写真が人の心を豊かにし、幸せにするのかという答えが見つからなかったため、それを探し求めるように様々のものにレンズを向けていった。

「とりあえず、僕は風景ではなくて人を撮るんだろうとは思っていました。中学の時は学校でクラスメイトを中心に撮っていて、高校の時は近くの神社のお祭りを撮ったり、上野動物園で外人の男の子を撮ったりもしたかな」

次号は2/28配信

写真


柳谷杞一郎のデジタル写真をめぐる冒険
こんにちは、柳谷杞一郎です。

お元気ですか。僕はかなり重い風邪を引いてしまいました。鼻が詰まって、頭が重い。正直、思考能力ゼロです。で、今回は少しデジタル写真の話から離れます。
■ Profile ■
柳谷杞一郎(やなぎたにきいちろう)
写真の学校/東京写真学園校長。
広告・出版物の制作ディレクターを経て、88年エスクァイア日本版の月刊化に際し、編集者として参加。90年副編集長。91年にカメラマンに転身。“大人の感性”と“少年の温もり”の混在する写真家として注目を集める。写真集に『Rapa Nui』『X』、著書に「写真でわかる<謎への旅>」シリーズの『イースター島』『マチュピチュ』などがある
カメラマンは「個人商店」(たまに、大きな組織にしている人もいますが、かなり特殊な例ですよね)である、ということを東京写真学園の生徒たちには何度も繰り返し言っています。
企画、営業、経理、総務、その他ありとあらゆる仕事を自分自身がこなしていかなくてはなりません。
僕がこの話を生徒にする時のポイントは、企画、営業もカメラマンの大事な仕事だということです。写真をやみくもに撮っていれば、それでいいというものではありません。まぁ、何も考えず、やみくもに撮っている写真のレベルは低い可能性が大なんですけどね。

自分自身をどうプロデュースしていくかという企画力、自分自身をどうセールスしていくかという営業力。このふたつがしっかりしているカメラマンは強いです。自分が何をすべきかよく分かっているから、写真に「迷い」とか「あいまいさ」がない。

そうです。企画・営業のしっかりしている「個人商店」は、商品力もあるということになるのです。結局のところ何より大切なのは、カメラマン自身の商品価値ということになります。

というわけで、プロカメラマンは風邪を引いてはいけませんよね。思考能力ゼロなど、もっての他です。商品そのものが欠陥品になるということですからね。フリーランスは健康第一。これは誰もが認めることだと思います。その前提があればこそ、カメラマンとしての商品力に磨きをかけ、企画、営業に力をそそぐことができるのです。

最後にもう一度言っておきます。健康で、商品力に磨きをかけ続けるのはプロとして当然のこと。あくまで多くのプロカメラマン志望者に欠けているのは、企画、営業力だと思います。あなたがプロカメラマン志望者であるならば「いつか、誰かが自分のことを発見してくれる」というシンデレラ的発想を捨てるところからスタートしてください。セルフプロデュース能力のない「個人商店」は消え去るのみです。
「写真の学校」の教科書
大好況につき、発売5ヶ月で4刷出来!!
はじめて一眼レフを手にする初心者からプロカメラマンを目指す上級者まで、写真が大好きな人が通っている写真の学校がつくった「写真の教科書」。柳谷杞一郎氏が執筆・編集しています
雷鳥社(2004/08)/1‚575円(税込み)



花写真〜上手になるための18のルール〜
写真を上手に撮るために心掛けるべきことは、たった18のルール。まだカメラを持っていない人から中級者まで、読んで楽しい一眼レフカメラ入門の書。柳谷杞一郎氏が執筆・編集に関わっています
雷鳥社(2002/03)/1‚155円(税込み)

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編集の学校/文章の学校
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編 集 後 記
さて、今週からはハービー山口さんのインタビューを全6回に渡ってお送りします。山崎まさよしさん、福山雅治さんのファンならご存知ではないでしょうか。ハンディキャップを背負いながらも「人の心を豊かにしたい」という思いを持ち続けてきたハービーさん。すごいですね。人はちょっとしたきっかけでどんどん変わっていくんでしょうね。(Hanaoka Mariko)
問 い 合 わ せ
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